円安も円高も、そう思うようにはいかない

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 高度成長期までの日本経済であれば、輸出立国として繁栄を目指す上で円安は大きな武器であった。 幸いなことに、原油など資源価格も低位で安定していたから、輸入物価の上昇もそれほどではなかった。 

 安いエネルギーや資源価格をベースにし、円安で支えられた日本製品は世界市場を破竹の勢いで席捲していった。 それが、1960年代までの古き良き時代であった。

 ところが、1971年8月にニクソンショックといわれる変動相場制への移行で、円はずっと1ドル360円に固定されていたものが突如、1ドル308円にまで急騰した。 そして、1973年11月に発生した第1次石油ショックで、戦後ずっと1バレル3ドル以下だった原油価格が10ドルにまで跳ね上がった。

 円安による通貨安と、エネルギーなど資源安の恩恵が一気に吹っ飛んだわけだ。 これで日本経済の成長は終わったと、国内のみならず世界からも、そうみなされた。

 政官民挙げての懸命な原油獲得と省エネ努力で、日本経済は3年ほどで不死鳥のように復活を遂げた。 さすがに、円はそれほど安くならなかったが、中東など産油国けの輸出が大きく伸びた。

 そこへ、79年終わりから80年初にかけて、第2次石油ショックが襲ってきた。 原油価格が30ドルから34ドルにまで引き上げられたのだ。 日本経済は再び大きなダメージを受けたが、それも3年ほどで何とかクリアした。

 2度の石油ショックで原油などエネルギー安の恩恵は吹っ飛んだ。 それでも、日本の輸出は伸びた。 変動相場に移行していたこともあって、円はじりじりと対ドルで切り上がっていった。

 ところが、1985年9月のプラザ合意で円は1ドル250円から125円への切り上げとなった。 一人勝ち状態にあった日本に対し、米国からの強い圧力が働いたものだ。

 その後も円高はどんどん進み、95年の4月には1ドル80円を割り込むまでに至った。 さすがに、そこまで行くと円は買われ過ぎという評価が出てきたし、バブル崩壊の影響もあって円は一気に売られた。 1996年には1ドル147円をつけるまでの大幅な円安となった。

 そこから今日に至るまでは、日本経済の強さには関係なく円高となり、最近の円安となっている。 先物取引はじめデリバティブやオプションを駆使した金融取引が、実体経済を大きく凌駕するまでに巨大化し、マネーの動きが為替を翻弄するようになったのだ。

 すなわち、アジア危機、ロシア危機、IT バブルの崩壊、同時多発テロ、サブプライム問題、リーマンショック、ユーロ危機を経て、ヘッジファンドなど世界の投機マネーは大暴れしている。 それが、2012年秋までの超円高である。 どちらかというと、ドルやユーロが叩き売られ宝、その相手方として円は1ドル75円台まで高くなった。

 そして、2012年の秋からは売り込み過ぎたドルやユーロの買い戻しで、今度は円安が進み1ドル120円まで行ったわけだ。 アベノミクスや黒田異次元緩和もあるが、世界の投機マネーの動きの方が影響度は大きい。

 だらだらと為替変動を振り返ってきたが、いまは経済のファンダメンタルズ以上に、世界の投機マネーの動きに翻弄される度合いが強くなっている。 投機マネーはその名の通り、どちらの方向へも瞬時に動く。 その結果の円安や円高をもって、投資判断したりするのは時として危険である。

 為替はどう動くか知れたものではない。 まあ、基本だけは、しっかり押さえておこう。 円高つまり一国の通貨が強くなることは、国民生活にプラスであるから歓迎すべきもの。 

 一方、円高で困る輸出企業などは経営努力で競争力を確保していくしかないし、それがグローバル競争に勝ち残って行く道である。