「艱難汝を玉にす」ということわざがある。 元は西洋のことわざで、逆境は人を賢くするということからきている。
次から次へと降りかかってくる苦難を乗り越えているうちに人は強くなるということだ。
それは、経済においても通じる、ひとつの真理なんだろう。 ひとつ? そう、どの国の経済においても通じるというわけではない。
かつて、日本経済は本当に強かった。 エネルギーも資源もなく、それこそ人だけが頼りだった。
明治の勃興も戦後復興も、資源も資金もなく、ただただ日本人の爆発的な働きによって、世界も驚く発展を成し遂げた。
70年代に入ってからは、加工貿易を主体としてきた日本経済にとって、円高という困難が襲ってきた。
71年8月のニクソンショックで、戦後ずっと1ドル360円だった為替レートが、一挙に308円へと修正されたのだ。
輸出産業にとっては大打撃となったが、そこへ73年10月の第1次石油ショックで、原油価格が3倍に引き上げられた。
そして、79年末から80年初にかけての第2次石油ショックで、原油価格は30ドルから34ドルへ跳ね上がった。
エネルギー価格が10倍となって、これで世界の奇跡といわれていた日本経済の躍進は終わったと、世界は論じたものだ。
ところが、日本経済は2度の石油ショックとも3年弱で克服し、日本製品は世界市場へ洪水のように流れ込んでいった。
逆に、世界は石油ショックとインフレとで、長期経済低迷に苦しみ、米国が復活を宣言したのは92年8月のことだった。
絶好調の日本経済を反映して為替レートは1ドル250円前後にまで、円高が進んでいった。
85年9月には不調が続いた米国が主導して、プラザ合意でもって、1ドル125円にまで引き上げられた。
それでも輸出企業を中心に、日本企業はすさまじい努力で円高を克服していって、世界最強の名をほしいままにした。
円高はさらに進み、1ドル90円台に入っていった。 そこで、日本のバブルが崩壊し、円高と合わせ二重苦となった。
その頃から、つまり90年代に入ってからだ、日本企業全般に経営者がみるみる弱くなっていったのは。
それ以前の、すさまじいまでの自助努力による競争力強化は棚に上げて、国に円高対策を大合唱するようになった。
かつての日本企業のすさまじかった企業努力は影を薄め、それとともに生産性の低下とかが常套句のようになっていった。
そして、円は150円台にまで下がり、日本経済はドイツにも抜かれて世界だ4位に落ちた。
国民一人当たりの所得も、台湾や韓国にも抜かれてしまった。
あっという間の没落だが、それもこれも日本企業や個人が安きに流れ出してからのことだ。