昨日の「艱難汝を玉にす」は導入部分ともいえるもので、今日が本論である。
瓦礫の山からはじまった戦後復興から、90年代に入る前まで日本経済は苦難の道の連続だった。
空襲やら占領軍による経済基盤の徹底的な破壊による壊滅状態にめげることなく、人々は立ち上がった。
国も企業も個人も一丸となって、経済再建に向かって猛烈に働いた。
復興を急ぐため編み出した傾斜生産方式やら、とにかく外貨を稼ごうと軽工業品の輸出に力を入れるなど、政官民挙げてすさまじい努力を重ねた。
経済インフラの基礎となる重化学工業への投資拡大で、60年代には公害問題が日本人の健康を脅かすほどに深刻化した。
公害問題になんとか対処しようと懸命の努力を重ねている間に、排ガス処理や計測機器で新しい産業が生まれていった。
60年代、輸出で外貨を稼ごうと懸命な努力を重ねている間に、日本の工業製品は世界断トツの競争力を持つに至った。
それが功を奏して、第1次第2次石油ショックによる原油価格の10倍増も、日本経済は3年ほどで乗り越えてしまった。
世界断トツの輸出競争力が円高をもたらした。 1ドル360円だったものが、308円、250円、125円、90円台と円高は加速した。
円高が進むたびに、輸出企業中心に悲鳴をあげながらも、懸命に対応力を高めていった。
どれもこれも、メディアなどでは国難の襲来と大騒ぎしたが、日本経済はなんとか乗り越えていった。
その間、日本経済は世界が驚く高成長を続け、人々の給料も毎年のように上がっていった。
困難の連続だったが、それを乗り越える努力を重ねている間に、国民はどんどん豊かになっていったのだ。
ところが、90年代に入ってからというもの、企業も人々も国頼みの甘えに走るようになった。
円高をなんとかしてくれ、銀行や企業を潰さないように、でないと大量の失業が発生するとか、なんでも国頼み。
自助努力で困難を乗り越えてくいこうとする精神が消えていき、あっという間に甘えがはびこっていった。
その結果、かつては健全きわまりなかった国の財政は、先進国でも最低にまで悪化した。(対GDP比)
輝いていた日本経済の成長力は地に堕ち、給料もほとんど増えない状況がもう34年も続いている。
日本企業の生産性は低いと世界から指摘されているのに、企業経営者の所得だけはどんどん高くなっている。
また、国民の多くも「働くな(?)改革」に甘んじるようになったものの、その横で将来や老後の不安を増している。
この30年あまり、いい事はほとんどなかった。 それもこれも、艱難を逃げ回ってきての自業自得というしかない。
いまや国全体が甘えのぬるま湯に浸かって、ゆでガエルになっていこうとしているのにも甘んじている。
そんな中、自助自立の精神にあふれた個人や企業が、これから例外的に台頭してくのだろう。