運用会社の矜持

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ちょっと昔話をしよう。 1970年代までの世界の運用会社のスタイルというものを。

その後の展開と比べ、一番の違いは運用資金集めの営業活動などしないということだった。

運用会社にとっては、自社の運用能力を高めることに100%はおろか130%のエネルギーを投入すべし。

それが、運用会社としての矜持であって、投資家顧客に対する受託者責任というもの。

まさに、職人技の世界。 ちょうど、歯医者さんが患者を治療するのと同じだ。

患者も口をパかッと開けて治療を任せるだけで、間違えてもドリルとミラーを手にしょうとすることはない。

資産運用というものは、それだけ専門度の高い仕事であって、社会的な評価も高かった。

一方、運用サービスを期待する投資家顧客は、自分の希望に沿った運用会社を自分で探し求めるべしということだった。

より良い運用を期待するのなら、お金を託す方もそれぐらいの努力をして当然と考えられていたわけだ。

運用会社が下手に資金集めの営業などにエネルギーを費やすのは、それだけ運用能力の向上にマイナスとみなされた。

そう、餅屋は餅屋で、運用会社はより良い運用に徹し、投資家は自分で運用会社を見つける努力をするが常識だった。

ところが、80年代に入って年金マネーの急拡大がはじまるや、世界の運用会社はマーケティング第一に舵を切った。

急激に膨れ上がる年金マネーを眼前にして、より多くの資金の運用に預かろうと、猫も杓子も営業に突っ走ったわけだ。

それまでの、資金集めなどにエネルギーを浪費しないという運用会社としての矜持など、かなぐり捨てた。

同時に、急激な運用資産増加に直面し、運用業界ではアナリストやファンドマネジャー不足が大問題となっていった。

そこで登場したのが、コンピュータに運用をまかせるスタイルで、世界の運用が職人技からは大きく遠ざかっていった。

年金マネーという巨額資金を運用し、それもコンピュータにやらせるとなれば、どうしてもマーケットに密着型となる。

また、コンピュータ活用で瞬時の処理能力が飛躍的に向上し、それがディーリング運用を大きく花開かせた。

インデクス運用も同様に、年金マネーの急増に後押しされるように、凄まじい勢いで普及していった。

世界の運用ビジネス全体が大変貌を遂げたのだ。 手作りの丁寧な運用は、いまや絶滅危惧種的な存在となってしまった。

しかし、あり余った物は価値が下がり、足らなくなっていくものは価格が上がっていく、それが経済の大原則。

人間の手による本物の長期運用が、これから大きく価値を高めていくのだろう。