昔からというよりも、おそらくこの50~60年ぐらいのことだと思うが、お金を語るのは云々が日本社会に定着している。
何かにつけて、「お金お金で生きるのは、どういうものか。どうもね!」といった反応が戻ってくる。
その反面、それこそずっと昔からの「清貧に生きる」が、しみったれた生き方かのように曲解されている。
どうにも解せない社会風潮であるが、その根っこには「日本が貧しかったころ」を、いまだ引きずっているように思われる。
戦後の瓦礫の跡からの復興時には、みな貧しかったが必死になって生きていた。
あの頃は、お金云々よりも、いかにお金を稼いで家族を守って生き抜いていくかが第一だった。
みな必死に頑張っていた当時を抜けて、ようやく社会に安定感が出てきたころからだろう。
金銭的に余裕が生じてきた一部の人達と、それに置いてきぼりを食ったようにまだ貧しさが残る大多数の人々の差が目立ってきた。
がっぽり稼いだ人達に対しては、闇みや上がりだとか、やっかみを込めた視線を送る。
その一方で、多くの人々がまだ貧しいが故に、「お金のことを語るのは、どうか」といった風潮が広がっていったようだ。
そろそろ、そういった「しみったれた、お金に対する社会概念」を打破してやろうではないか。
われわれは本格的な長期投資で経済や社会のお役に立ちながら、カッコ好く資産を殖やしていく。
先ずは、お金から自由になった状態であるファイナンシャル・インデペンデンスを達成する。
次なるは、どんどん殖えていくお金を「カッコ好く、世の中につかう」ステージに入っていこう。
そう、お金お金で卑しく生きるのではなく、お金にしっかり働いてもらって、堂々たる財産づくりをしていく。
そして、その先では社会や世の中に向けてカッコ好くお金をつかっている、大人らしい大人になっていくのだ。
そのカッコよさを世に見せつけてやれば、もうお金を語るのは汚らわしいといった揶揄は出てこないはず。
日本には、お金を語るのはどうかと言いながらも、自分のこと以外にはビタ一文もつかわない人が案外と多い。
そういったお金にとらわれて、自分や自分の家族だけはで、生きている人たちは放っておこう。
われわれは、カッコ好くお金を殖やして、カッコ好くつかって、カッコ好く生きていこうではないか。
それでもって、よりよい社会をつくっていくのだ。 もっとすてきな世の中を子どもたちに残していってやろう。