高市首相の「責任ある積極財政」に、世の関心はやたらと高まっている。
責任あるというからには、現時点でもひどい国の財政に、さらなる負担をかけないということだろう。
その上での積極財政とは、具体的にはどんなものだろう。 ただ、やたらと金をバラ撒くだけではなさそうだ。
国が重点的な育成分野を定めて、そちらに公的資金を集中するのなら、まだいいが。
中国が造船、鉄鋼、太陽光発電などの分野に大々的な育成策を講じて、世界断トツの競争力を我がものにした。
いわゆる国家資本主義を最高度に発揮させて、日米欧などの民間企業を蹴散らしてしまった。
また、戦前のことだが、ナチスドイツが時速無制限のアウトバーンを国中に建設し、自動車産業を育成した。
そのような徹底した産業育成策を、高市政権は展開していくのだろうか?
とはいえ、成長戦略を国に頼っている産業界の甘え構造は、なんとかならないものか。
そもそも成長戦略など、国がやるものではない。 民間とりわけ産業界から、どんどん湧き上がってくるもの。
いろいろな事業アイデアが大きく育っていって、ひとつの産業といわれるまでになっていく。
それが、活力ある経済であり社会のはず。 そういった活力が、民間とりわけ産業界の間で、ずいぶんと薄れてしまった。
そのひとつの象徴が、ダラダラ円安である。 かつて、日本円とスイスフランは肩を並べて強くなっていった。
1990年代半ばまでは、1スイスフラン102円から105円の交換レートがずっと続いた。
ところが、いまや1スイスフラン194円だ。 かつては国民一人当たりの所得も、スイスのすぐ後を追いかけていた。
そのスイスは世界最高の所得水準を独走しているのに、日本は台湾や韓国にまで追い越されるまでに落ちこぼれる有様。
その間、日本は1990年代半ばから産業界を挙げての円安大合唱を唱え続けてきた。 そして、インバウンドの安売りだ。
一方、スイスは世界最強の通貨と世界で一番生活水準の高いといった悪(?)条件で、観光産業を隆々とさせている。
円安大合唱など安きに逃げ続けてきた日本の産業界は、どんどん競争力を失ってきた。
国は先進国最悪を独走する国家財政で(対GDP比)、産業界には甘え構造がドップリと浸み込んでいる。
そんな日本をなんとか立ち直らせるのは、やはり民間の力である。
数え上げれば、自助自立で頑張っている企業群は、いくらでもある。 なんでも国頼みのゾンビ企業ばかりではない。
そこに、個人がモノを超えた消費を高めていけば、いくらでも新しい産業を育て上げられる。
1025兆円の預貯金に眠らせてある個人マネーの20%でも動けば、200兆円の産業が生まれるのだ。
日本経済はいくらでも活性化する。 さわかみグループでは、そのお手伝いをしている。
