普通、寄付というと赤十字だとか国境なき医師団とかに振り込んで、「はい寄付しました」となる。
あるいは、東日本大震災や能登半島地震などで、被害地の皆さんに少しでもお役に立ててもらいたいで振り込んだりする。
それでもって、なんか良いことしたといった満足感と、自己充実感を味わう。
そういった寄付とはちょっと違うが、5000円とか1万円あるいは5万円をもっていって、直接手渡してみよう。
生活に困窮している人々をはじめ、お金に苦しんでいる人たちは、どれほど喜んでくれることか。
お金を直接手渡すことで、こちらが嬉しくなるような感謝と笑顔をいただく。
すると、お金をつかった価値が跳ね上がる。 ずっと欲しかったモノを手にした喜びに負けないぐらいの価値を感じるのだ。
自分の大事なお金だ。 どうせなら、大事につかいたい。 寄付で大いに喜んでもらえると、つかったお金も生きる。
それって、投資と同じ考え方ではないか? とりわけ、われわれ本格派の長期投資家と同じような資金投入ではないか?
本格的派の長期投資では、金銭的なリターンを求めて眼を血走らせるなんてことはしない。
将来に向かって、やるべきことをやっていく。 強い意思でもって、将来の社会をつくっていくのだ。
すこしずつ出来上がっていく社会こそが、長期投資のリターンである。 金銭的なリターンなど、後からついてくるぐらいの感覚だ。
こう考えてくると、寄付も長期投資も意思をもって、お金に働いてもらうという点では、まったく同じである。
意思をもった寄付? そう、直接にお金を手渡す時の、あの感覚である。
となると、ノーリターンの投資、つまり金銭的なリターンを求めない投資も、寄付と同類項に入ってくる?
そう、成熟社会ではお金をまわすチャネル、つまり「お金をまわす、やり方や方法」がグーンと広がっていく。
その代表格が、長期投資と寄付なのだ。 となると、寄付の文化もビックリするほどの広がりと深みを持っているはず。
寄付文化の広がりと深み? そう、日本社会においても、これからどんどん探求していくべきテーマである。
その時、個人金融資産のうち、1025兆円もが預貯金に眠っている国だ。
日本経済の1.6倍の巨額資金を保有している、日本の個人一人ひとりが、大事なお金をどう動かすのか。
これまた、大事なテーマである。 長期投資も寄付文化もどんどん広げていくことで、日本社会の成熟度も上がっていくはず。
まさに、挑戦し甲斐のあるテーマである。
