すぐれた政治指導者が出て、病める経済を立て直した例として、上の3首脳は歴史に名を遺した。 学者や評論家の一部では批判もあるが、病める英国・米国・ドイツ経済に活を入れ、驚くほどに発展させた事実は誰も否定できまい。
60年代、70年代と英国病が蔓延した。 生活水準の低下から労働者のストライキが常態化し、それが企業の英国離れを招いたから、失業者はさらに増加する悪循環で、英国経済は瀕死の状態にあった。
米国も黄金の50年代60年代を謳歌してきたが、60年代も半ば以降はヨーロッパ企業の復活や日本企業の台頭で、米国企業の競争力が落ち貿易赤字が定着した。 失業も著増した。
また、ベトナム戦争の泥沼化で財政赤字は拡大する一途となった。 それで、たとえば教員や警察官の削減となり、教育の低下や犯罪の増加を招いた。 米国経済はボロボロ状態に落ちていった。
そんな中、79年にサッチャー首相が、81年にはレーガン大統領が登場し、単純明かな政策を打ち出した。 学者など専門家から批判を浴びたが、怯むことなく政策を断行した。
大まかにいうと、「国はもう何もできない、民間の活力に頼るしかない。 民営化と規制緩和を徹底し、大幅減税をするから、意思と意欲のある個人や企業に頑張ってもらいたい」と宣言し、多くの反対に一歩も引くことなく政策を推し進めた。
最初の3年ほどは、なんの効果も表れなかった。 それほどまでに経済の低迷はひどく、人々は自信を失っていた。 商店のおばちゃんや役者上がりの素人には、経済を立て直すなど無理と揶揄されたものだ。
しかし、民間では静かに前向きの動きが出てきていた。 民営化や規制緩和を徹底してくれたし、大幅減税とくれば動かない手はない、そういった民間活力は横へ横へと広まっていったのだ。
3年もすると、そういった動きが経済全般を押し上げるまでに高まって、英国も米国も復活した。 そこから16年ほど、両国は3%前後の経済成長を謳歌することになった。
一方、ドイツは90年に東西ドイツが統合してからというもの、ヨーロッパの病人といわれるほどに低迷に喘いだ。 繁栄ボケで国民が働かなくなった西ドイツに、社会主義で国家に頼り切りの東ドイツ住民とその年金負担が上乗せされたから大変。
96年に登場したシュレーダー首相は、労働者寄りの社民党政権ながらも、労働改革を断行した。 ドイツ企業の国際競争力を高めるべく、経営に重荷となっている社員の解雇に道を開いた。
大量の失業発生に対しては、国が責任をもってセーフティネットを講じるとした。 一定の生活保障を施した上で、職業教育を徹底して再就職への道を開いてやったのだ。
もうひとつは、銀行支配の強かったドイツ経済に大鉈を振ったこと。 銀行に保有株を売却させ(売却益課税はゼロという特例で)、企業に経営の自由度を高めてやった。
二つの政策を断行したから、やはり3年もするとドイツ企業は見違えるほどに強力な経営体質を築き上げた。 2000年に入ると、ドイツ経済はヨーロッパ最強の地位を盤石として今日に至っている。
政治ってこういうものなんだという見事な実例を、お三方は残してくれた。 次は、安倍首相の番だ。
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