世間一般の人々に向けての今日の表題は、ちょっとおせっかいかもしれない。 しかし、果たして今のまま流れて行って良いのだろうか、どうも気になって仕方がない。
人それぞれの人生があるので、どう考えどう生きていくのかは自由である。 そんな中でも、ただ流れるにまかせての生き方に対し、自分の意思を放り込むことはできる。 それでもって、より良い人生を送れたら後になってよかったと思えるはず。
一体なにを、そうも問題視しているかというと、預貯金に放ったらかしにしていることだ。 金額の大小はともあれ、日本人のほとんどが預貯金に置いておけばで、大事な虎の子を預けっ放しにしている。 ただ安全だからといって、そこで思考停止しているのだ。
さすがに、年0.02%前後の利子ではお話にならないということだけは、みな異口同音に語っている。 それでも、より有利な利殖手段を考えようともしない。 ほんの一部の人が高利回りをうたう投信に群がっている程度。
大体からして、預貯金では財産を目減りさせるだけなのを深く考えようともしない。 これは預金の構造であるが、銀行は預金で集めた資金を企業などに貸し出して、その利ザヤを稼ぐ商売をしている。 つまり、預金利子と貸出金利との間には、銀行の経費と利益が入ってくる。
銀行から資金を調達した企業などは、金利コストを上乗せした価格で製品やサービスを提供する。 そうしないと、コスト倒れとなって企業はつぶれてしまう。
となると、われわれ一般生活者は預金利子という収入を得るが、一方で銀行の経費や利益そして企業の経費や利益の一部が盛り込まれた価格を支払って、毎日の生活を営んでいることになる。 預金利子と生活コストとの差額分だけは、財産を確実に目減りさせているわけだ。
預貯金利子では生活を賄えない、こんな当たり前を誰も実感しなくても済んだのは、日本経済の世界に例を見ない高度成長で毎年給料が増えていったからだ。 バブル崩壊後はデフレ現象が続き、モノの値段が下がったからのこと。
もう、そういった日本的な特殊要因はない。 政府日銀の2%物価目標ひとつをとっても、年0.02%の預貯金利子では全く追いつかない。 この150年ほど先進国の歴史を振り返るに、物価上昇に3%ぐらい上乗せした利回りを財産づくりの目標にしたいところ。 となれば、われわれ一般生活者として年5%~6%ぐらいの財産づくりイメージは持ちたいもの。
先ずはともあれ、”預貯金にしておけば財産づくりとなる” という旧来の考え方は捨てよう。 こんな超低金利では話にならないし、たとえ預貯金利子が上がったところで、それ以上に物価は上がっている。 わざわざ財産の目減りに勤しむことはない。
次に、長期の財産づくりをお手伝いしようという、本格的な長期運用の投資商品を探すのだ。 上に書いた高利回りの投信は目先のリターン確保であって、どこまで長期の財産づくりを意識した運用をしてくれるかは疑問である。
そして、今日の仕上げは、国の年金など制度に頼らない自分年金づくりまで、自分の意識を高めることだ。 これだけ年金問題がマスコミなどでひんぱんに取り上げられるというのは、それだけ問題が深刻だからだ。 だったら、国の年金はもらえたら儲けぐらいまでに、期待値を下げてしまおう。 その代わり、自分年金づくりをしっかり進めていくことだ。
ここまで考えてくれば、もはや思考停止ではない。 いますぐにでも本格的な長期投資に踏み出せるはず。