よく投資はお金お金で、朝から晩まで不労所得を追いかける卑しいものという人がいる。 人間が額に汗して働いた報酬として所得を得るのは尊いが、お金でお金を稼ぐのは美しくないというわけだ。
どう考えるかは、人それぞれの自由である。 ただ、お金に働いてもらうのを卑しいものと断じてしまうのは、考えが狭すぎる。 早い話、工場ひとつ建設するにも5億10億100億円のお金を必要とする。 そのお金なかりせば、工場は建てられないし、その分の生活物資は不足する。
銀行がお金を出す? その銀行にお金を預けているのは誰だろう? 銀行にお金を預けて、そのお金でもって工場建設に向かわせるのなら、預金で利子を得ても不労所得ではないというのだろうか? そうは言わないよね。
投資だって同じこと、経済の拡大発展と人々の生活をより豊かにするため、ものすごく頑張って働いてくれている。 ただ、その働き方が銀行にお任せするのと、自分の判断で決めていくのとが違うだけだ。
でも、投資のお金は株式市場に流れ込んで、株を売った人の手に移るだけなんでしょう? 企業の手に入るわけではない? それは、その通り。 そのところだけ見れば、ただお金のやり取りをしているだけで、マネーゲームといえないこともない。
ところが違うんだ。 浮利を追いかけるマネーゲーム的なものは、投資の一部といえなくもないが、それはほんの一部にすぎない。 投資とはもっともっと大きなものである。
投資の本来の姿は、経済の現場に資金を供給して経済活動をより活発化させることである。 とりわけ、不況時や先行きの見通しが暗い時などに、人々はリスク回避で現金化を急ぐ。 そういった時ほど投資家の出番で、リスクを恐れない資金供給が大きな価値を発揮する。
たとえ、株を売った人の手に資金が移っても構わない。 保有株を売った人は自分が望むリスク回避ができ、なお手にした現金でいつでも次の行動に入れる。
一方、投資する方は将来価値が高まるであろう企業の株を安値で取得できる。 どちらにとっても満足のいく経済行動となる。 だから、経済活動の拡大発展にプラス寄与するわけだ。
ここでしっかり考えよう。 皆が逃げを打つようなリスク回避の経済状況下で、果たして銀行は経済の現場に資金を供給できるだろうか? 無理である。 不特定多数の人々の預金を預かっている立場上、安全重視の貸し出しが銀行経営の根幹である。
そこにこそ、投資の価値が大きな輝きを放つ。 銀行が手も足も出せない時に、敢然と経済の現場にリスクを恐れない資金を供給するのだ。 本物の投資家にしかできない極めて価値のある経済行動なのに、それをみて浮利を追うなんて言えようか。
明日から4連休。 仕事の人もいるし、お休みの人もいる。 はっきりしているのは、われわれ一般生活者が応援したいと思う企業は、連休関係なしに世界中で仕事している。 そういった企業の株価水準はまだまだ低位にある。 史上最高値を更新している米国株とはえらい違いである。
だったら、あなたのお金には連休の間にも働いてもらおう。 米国株に大きく出遅れているということは、日本株に売りが多いということだ。 こういう時は応援買いだ。