長期で財産づくりをしていくとなると、株式投資が主役となってしまうのは前編で書いた通り。 それは、企業の事業拡大からくる利益成長がもたらす投資価値の高まりが、プラスアルファとなってくるからだ。
他のあらゆる投資対象商品は、その時々の金利水準からそれほど離れない値動きをし、せいぜい市場での人気化を期待するぐらいである。 企業の利益成長という固有価値の高まりが、投資収益に上乗せされてくる株式投資にはとても適わない。
そういうことであるならば、どの企業が着実な利益成長を続けてくれるか、どれだけ健全なる事業拡大を期待できるかが、キーポイントと考えてよいはず。 つまり、長期の財産づくりをより確かなものにしてくれる鍵となるのだ。
そこで登場してくるのが、生活者投資家もしくは生活者株主という考え方である。 これは、われわれが提唱している新しい概念である。 言葉としては誰でもすぐピンと来るもので、そう目新しい概念でもない。
しかし、株式市場そして金融マーケットにおける実力という観点からは、誰もが無視している投資家主体である。 その固定観念を実力で覆してやろうということだ。
機関投資家とかヘッジファンドとか、その存在感は圧倒的である。 それらに匹敵する、あるいは凌駕する実力を持っているのが、生活者投資家という新しい概念である。
なにしろ、こちらは毎日の生活での消費という、途方もなく巨大な武器を持っている。 消費者として買う買わないは、企業のビジネスに決定的な影響を及ぼす。 同じ生活者が投資家もっといえば株主として、いくらでも企業経営を暖かく支持したり、厳しくダメ出しをできるのだ。
生活者の消費と、それを支える企業のビジネス活動とは紙の表裏の切っても切れない関係にある。 両者を合わせたものが、経済のほとんどをなしている。
それなのに、経済の発展拡大期から高度成長段階ではあまり意識されず、別々の経済活動をしているかのようにとらえられる。 とりわけ、企業の華々しいビジネス拡大が経済の主役とみなされる。
ところが、経済の成熟化が進むにつれ人々の買い替え需要と高度な消費が主体となり、自然と生活者すなわち消費者が経済の主役に躍り出てくる。
それと同時に、成熟経済特有の問題が噴出してくる。 成長率鈍化に伴う若者の失業と高齢者の既得権益化、社会保障費の増大と年金不安の恒常化などなど。 すると、生活防衛のため自分も頑張って働くが、自分のお金にも働いてもらうという考え方が必要となってくる。
世の多くの一般生活者が長期の財産づくりや自分年金づくりに踏み出せば、もう放っておいても長期視野の株式投資が主体となっていく。 その先に、生活者投資家という新しい投資家主体が、株式市場や金融マーケットで実力を持った存在として認識されるようになるのは必然である。
われわれの長期投資仲間がどんどん増えていくことは、成熟経済を健全に発展拡大させていく上でも重要な役割を果たすことになる。 そういった概念は、まだ経済の教科書に書かれていない。
ありがたいことに、日本には816兆円もの巨額資金が個人の預貯金マネーとして眠っている。 その20%が動けば、世界の経済の教科書を塗り替えることができるのだ。 おもしろい挑戦だよ、これは。