日本人の間に浸み込んでいる貯蓄信仰は、ちょっとやそっとでは薄らぎそうにない。
ケチということではない。 生活に必要な出費は世界でもトップクラスをいっている。 それが、日本をして世界第3位の消費大国にしているのだから。
また、東日本大震災の時も見事に現れたように、国中から義援金とかでも結構なお金が集まってくる。
問題は、生活出費や義援金などを超えて、お金をつかうことに日本人があまりに不慣れな点である。
不慣れというよりも、余ったお金は1銭の無駄もなく貯蓄しておくべしという教えが、子どもの頃から叩き込まれている。
無駄なお金はつかわない、貯蓄に励むべしというのが、日本人として生きていく上での大事な規範となっているのだ。
この貯蓄信仰こそが、日本経済を世界第2位の経済大国へ押し上げる土台となったのは、まぎれもない事実である。
産業界が設備拡大の投資を積極果敢に進めていったが、その旺盛な資金需要を力強く下支えしたのが、国民の預貯金だった。
国民がお金をつかう代わりに、産業界がどんどん経済拡大の投資をしてくれた。 貯蓄信仰が日本経済の爆発的な拡大発展を下支えしたのだ。
しかし、日本経済の成熟化が進むにしたがって、貯蓄信仰が日本経済の重荷と化してきた。
生活に必要な物資も買い替え需要が中心となり、産業界の投資意欲はみるみる落ちていった。 つれて、日本経済の成長力も下がった。
経済の規模は、つかわれているお金の量とスピードの掛け算だから、誰かがお金をどんどんつかわなくてはならない。
そこで問われるのが、国民の意識的な消費拡大である。 もはや、生活物資は充足されたのなら、モノ以外の消費を高めなければ、日本経済の成長はおぼつかない。
ところが、子どものころから叩き込まれた貯蓄信仰が骨の髄まで浸み込んでいる。 米国のように、収入の一部は寄付にまわそうねといった教育が、まったくなされていない。
いつも書いているように、預貯金の1%を寄付にまわすだけで、日本経済は1.7%の成長をする。 2%の寄付で、3.4%の成長だ。
寄付でも、文化・教育・芸術・スポーツ・技術・NPO・ボランティア、なんでもいい。 これはと思うことに、お金を少しずつでも構わないから、つかう癖をつけよう。
それが、成熟化した日本経済を拡大発展させる大きな要因となるのだ。