政治屋の政治を変えるには

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 昔、チャーチルがいったという。 10年20年先を考えるのが政治家で、選挙で選ばれることしか考えないのは政治屋だと。 この言葉、日本の政治家といわれる先生方は、一体どこまで自身に照らし合わせてくれているだろうか。

 正統な手続きを経て民意を代表している政治家を侮辱するなとか、政治はそう単純なものではないと怒りをあらわにする先生方、先ずはともあれ政治家らしいところを見せてもらいましょう。

 日本社会や経済の10年20年先のあるべき姿を自分の声で語り、そこへ向けての方法論あるいは具体的な政策を打ち出してもらおう。 一人一人、それができて初めて政治家といえよう。

 どんな行動も身をもって示すのが第一歩である。 手始めに政治家を自認する先生方から、自分の政策と覚悟をはっきりと打ち出してもらおうではないか。 10年20年はおろか50年先の日本をどのようにしていこうとしているか、それに対しどこまで責任を持とうとしているかをだ。

 日本社会や経済から活力を失わせている最大の要因は、新陳代謝が滞っているところにあるといって差し支えなかろう。 それは農耕民族の特徴として、土着性が強く守旧的な社会構造となりがちな面は否定しない。

 だからこそ、時と状況に応じて政治家あるいは指導者が断固たる意思と覚悟で、新たなる方向を打ち出すことが求められるわけだ。 過去においても明治維新然り、日本人特有の集団的危機感の高まりが、結果として草の根から新しい指導者を輩出させた。

 いま一番の問題は、日本全体が集団的危機感が高まらないまま、ユデガエル状況に甘んじているところにある。 経済社会がじり貧の道をずり落ちていっているのに、このままでもなんとかなるだろうの淡い期待が国中に充満している。 それが、政治屋をはじめとした利権や既得権益集団の跋扈を許しているのだ。

 新陳代謝には目をつむり、まだなんとかなるで現状を変えようとしない指導層の中には、今の体制で飯を食っている人々の大半が入る。 早い話、教育に携わる人々の間でさえ、旧態依然とした教授などが安穏としているではないか。

 このまま行くと集団自殺のような状況に陥るのは避けられない。 アベノミクスの当初から書いているように、あれは両刃の剣である。 いまは幸いなことに良い面が先行して出ているから、それに悪乗りしてでも日本経済を活性化せてしまおう、そう言い続けてきている。

 一般生活者ができる最大の貢献は、少しでも多くの資金を預貯金から引き出して、積極的に株式や株式投信を買うことだ。 816兆円の預貯金の5%が動いただけでも、40兆円を超す大量の資金が株式市場に流入し、株式市場だけでなく日本経済は大活況となる。

 ちなみに昨年は、外国人投資家が14兆円強の日本株買い越しで、日本株市場の時価総額は177兆円も膨れ上がった。 株価上昇で日本の富は37%もかさ上げされたわけだ。

 しかるに、アベノミクスの悪い面が出始めたら、もう手の施しようがない大混乱が待っている。 それを防ぐのは政治屋の力量をはるかに超えている。 というか、彼らはそんな想定すらできないだろうし、いざそうなったら真っ先に逃げ出すのだろう。

 とにかく、一刻も早く日本経済を活性化せてしまうことだ。 それには、預貯金マネーで株や株式投信をどんどん買っていくことだ。 株価上昇がもたらす資産効果もさることながら、進取の気質に富む企業を大いにはばたかせることができる。

 経済も社会もほとんどが生活者の消費と、それを支える企業の生産供給活動で成り立っている。 そこだけを見るに、政治屋の跋扈する余地はない。 そう、民間の意思と活力で日本経済や社会の健全なる発展と拡大を追求するのが一番安全なのだ。