男時と女時

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 昨日の女性経営者勉強会で、質問の一つに社会的な格差拡大をどう考えるかというものがあった。 といっても、社会問題として議論を深めるとかではなく、起業や事業経営においての視点ではあるが。

 つい最近までの日本は、世界の歴史に例を見ないほど格差の少ない経済成長と繁栄を誇ってきた。 みなが一緒に豊かになっていったわけだ。

 その図式が崩れ出して、格差拡大をことさら問題視するようになってきたというのが最近の論調だろう。 それに追い打ちをかけているのが、日本経済の低迷ないしジリ貧である。

 経済のパイが大きくならない。 それどころか、じわじわと縮小の方向をたどっている。 そのしわ寄せを大きく食らっている社会層からすると、格差拡大が深刻ということになる。

 この現象を感情論を抑えて、世界的かつ歴史的にみるとどう考えられるか?  どこの国々も勃興期と衰退期の栄枯盛衰を繰り返してきた。

 あるいは、社会が伸びやかで開放的な時期と、縮こまり気味で閉鎖的な時期とを繰り返してきた。 それを歌舞伎の世界では、男時と女時というらしい。

 日本でいえば、飛鳥時代から平安初期の荒くれ期はまさに男時だった。 力の闘争を経て、平安時代の貴族文化が開花した。 それを女時という。

 その後、源平合戦を皮切りに鎌倉幕府、安土桃山時代といった弱肉強食の男時があった。 江戸時代に入って対外的には鎖国しつつも、文化爛熟の女時がやってきた。

 幕末から明治中期までは典型的な男時であったし、それが明治後期から大正ロマンといわれた女時につながっていった。 戦後復興から高度成長期までは男時だったし、その後の繁栄とみな一緒の幸せを満喫できた社会は女時といえる。

  このような男時と女時の繰り返しという観点からみると、日本社会はそろそろ「強い者が生き残る、男時の時代」に入って行こうとしているのだろう。

 先にも書いたが、感情論を抜きにして敢えて言うと、男時の時代には弱い者はどんどん淘汰されていく。 淘汰されるのが嫌なら、自助努力で強く生きていくしかない。

 これは社会の変動という大きなうねりだから、国やら制度なんて当てにできない。 頼るは自分の力だけである。 格差とかいっている暇はない。

 ビジネスの立場でいうと、この考え方で突き進んでいいだろう。 そもそも、どんなビジネスも世の中から必要とされてはじめて拡大と発展がある。 国とかに頼っている方がおかしいのだ。

 幸い、長期投資は自助自立の精神をベースとしている。 その上で、自助努力を重ねている強い企業を応援しながら、より良い社会をつくっていこうとする。 男時の時代となっても、堂々と生きていけるわけだ。

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