おそらく表記の書名となるであろう新著を昨年から執筆中である。 なんで今日ここで触れるかというと、執筆がかなり遅れ気味なので自分を追い込むために、あえて表に出してやれといったところ。
企業分析はこの30年ちょっとで、恐ろしく精緻にかつ高度化した。 それは投資の世界だけではない。 企業経営の現場でもコスト低減や効率化はもちろんのこと、資金調達をより有利にするためにも、数値化による計数管理と膨大なデータ処理が日常業務となっている。
最近はビッグデータといった言葉もあちこちで語られるようになってきた。 経済や社会で起こっているあらゆる動きをデータ化して、素早くビジネス対応しようということだ。
これらのどれも、数字データを大量かつ瞬時に把握し、迅速で適切な行動に移そうとするものである。 瞬発力が問われる短期投資家やヘッジファンドなどにはピッタリくるかもしれないが、長期投資家がそのまま受け入れてしまうとガタガタになる。
もちろん、長期投資においても数字データは、できるだけ幅広くかつ詳細に把握したい。 だからといって、それは即座に反応するためというわけではない。 ひとつの判断材料といったところだ。
長期投資では、”広く、深く、遠く” 考えることが求められる。 たとえスーパーコンピュータを駆使して得られたビッグデータで、ある程度は広く深く調査できたところで、遠くつまり長い時間軸で考えるまでには至らない。
実は、企業経営でも同じことが言える。 長期のビジョンで経営にあたろうとすると、自社を取り巻く現実と自社のもてる経営資源を踏まえた上で、さて何をどうするか広く深く遠く考えざるを得ない。
広く深く遠く考えるとなると、社会とか経済の拠って立つところ、つまり人々の生活をベースにして常にそこから一歩も離れないことが大原則となってくる。 人々の生活となると、なにもかも数字やデータなど無機質なもので推し量れるものではない。 思いとか感情といった要素がたっぷり入ってくる。
新著では、人々の生活と企業経営は紙の表裏の関係にあって、その上に立った長期投資という視点で必要な企業分析に絞り込んでいる。 その横で、アナリスト試験に出てくるような恐ろしく精緻で網羅的な企業分析は、かなり切り捨てている。 われわれ長期投資家は学術論文の世界にいるわけではないのだから。
さて、いつごろ完成となるのだろう? ようやく2万字ほど書いたが、まだ6分の1までもいっていない。 頭にはあるんだけど、一つ一つ書き下ろしていくって、結構大変だよね。