マネー資本主義からの解脱(後編)

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金銭的な報酬の最大化を狙うマネー資本主義は、ブレーキのかからない経済運営となってしまう。

その先では、一部の人々への富の過度な集中と、大多数国民の低所得化や貧困化が、どんどん進んでいく。

企業経営でみると、昨日も書いたように社会に向けて、どれだけ多くの富を生み出すかなどは無視。

そんなことよりも、いかに多くの利益を稼ぎ出すかだ。 それが、出資者たちや経営者の報酬最大化に直結する。

そのためには、できるだけ安く労働力や原材料・資材を調達し、できるだけ高く売るに尽きる。

それは、労働力を提供したり、原材料や中間資材を提供する人々から、富を収奪することにつながっていく。

また、出来るだけ高く売ろうとすることで、消費者からやはり富を収奪していくことになる。

どちらも、企業や株主にとっては良かれだが、その周りの社会全般を窮乏化させていくのは避けられない。

これが、一部の富裕層への富の集中であり、金融所得の著増である。

その横で、いま世界を襲ってきているのが、先進国も含め多数国民の低所得化や貧困化問題である。

やっかいなことに、冒頭にも書いたが、ブレーキがかからない。

マネー資本主義にどっぷりつかった政治家たちや、金融界からのロビイスト圧力が、現状維持を擁護して止まない。

どうにもならない無力感が民主主義の劣化と映ったり、世界各地で権威主義的な政治の台頭を許している。

その横で、窮乏化した人々が世界各地で賃上げ要求から、暴動や地域紛争に至るまで、動きは先鋭化しつある。

どれもこれも、地政学的リスクを高め、根強いインフレ圧力ともなってきている。

どうしたらよいのか? われわれ一般生活者は自助自立の意識を高め、その方向で行動に移ることだ。

具体的には、生活者として「なくなっては困る」企業の応援株主となっていくのだ。

そういった生活者投資家が存在感を増していくにつれ、企業経営も付加価値最大化という本来の姿に戻っていく。

機関投資家たちは利益最大化で株価を上げろと、相変わらず企業に要求するだろう。

しかし、われわれ生活者投資家は企業に対し、社会的な富の創出の最大化を応援株主として要望する。

生活者株主としての要求を高めていくことで、企業経営をしてより社会性を意識したものに方向づけさせられる。

理想論に過ぎる? 個人の預貯金マネーは1000兆円を超えており、東京株式市場の時価総額を凌駕している。

その気になれば、機関投資家からすべての株式を買い取ってしまうことだってできるのだ。

われわれ本格派の長期投資家と生活者株主は、まったく同じ価値観で行動することになる。