90年代の初め、ホンダはずっと業績不振が続いていて、大企業病に陥ったといわれていた。
その横で、パジェロ人気が爆発して三菱自動車の経営は絶好調だった。
ホンダは三菱銀行をメインにしていたから、三菱自動車に吸収されるといったうわさも、まことしやかに流れていた。
そんな中、業績低迷を受けて4代目社長は誰になるかで、マスコミ報道などではⅠ専務の昇格が確実視されていた。
本田宗一郎さんからはじまって技術屋社長が続いたが、そろそろ全方位的な経営が求められている。
その点でも、宗一郎さんに可愛がられ、長くホンダのプリンスといわれてきたⅠ専務で決まりといった流れだった。
ところが、当時のホンダ経営陣は和光市にあるホンダ技術研究所の社長だった川本氏を次期社長に選んだ。
本命といわれ続けていたⅠ専務ではなく、まったく無名だった川本氏を当時の経営陣と先輩OB達は指名したのだ。
社長に就任するや否や、川本氏はナポレオンとかヒトラーと呼ばれる強引さでホンダの大改革に臨んだ。
大企業病に陥っていた組織に大ナタを振り、返す刀でCR-V やオデッセイといった新車を投入して業績を急回復させた。
見違えるほどに元気一杯となったホンダを見届けて、川本社長は4年で退任し相談役に退き、その後は一切表に出てこない。
一方、Ⅰ専務は川本社長就任でホンダを去り、他社をいくつか渡リ歩いて、その後は知れない。
ここで留意したいのは、当時のサラリーマン経営陣がどのような判断で、4代目社長を選任したのかだ。
プリンスともいわれてきた本命のⅠ専務ではなく、まったく無名の川本氏を選んだが、それが大成功を収めた。
企業の命運は、どういった社長を選任するかで大きく左右される。
そして、選ばれた新経営陣がどう先を読んで、どのような判断を下していくのかだ。
その点、最近のホンダは得意中の得意だったエンジンは止めて、EVに特化するとかへ経営の舵を大きく切った。
そして、この2週間ほどは日産自動車とホールディング会社をつくり、技術開発などのシナジー効果を高めるといっている。
日産自動車はずっと労使紛争に追われ、ゴーン改革に委ねてとん挫したりと、長いこと経営の迷走が続いている。
昔から技術の日産といわれてきたが、それも経営力の弱さで宝の持ち腐れにしている。
そんな日産をなんとかさせなければといった大きな判断が働いているのか、ホンダの経営陣はともかくも舵を切った。
この判断が、どのような結果なり成果につながっていくのか、静かに見守りたいものだ。