マネー資本主義からの解脱(前篇)

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突然、仏教用語を持ち出したが、そろそろマネーの束縛から解き放たれて、資本主義の良さを求め直したい。

マネー資本主義とは? なににつけても金銭的な報酬の最大化をもって良しとする経済全般の仕組みだ。

企業でいえば、利益の最大化でもって株主に報い、経営者も多額の報酬にありつこうとする。

本来、企業というものは社会にどれだけ多くの富を生み出すか、つまり付加価値の最大化が問われる。

すなわち、雇用の創出と給与の支払い、将来に向けての投資、賃借料や利子そして税金などが、付加価値における費用項目である。

それらをたっぷりと支払った上で、残った部分が利益となり、晴れて株主に還元される。

ところが、マネー資本主義では利益の最大化を追求するあまり、付加価値における費用項目をトコトン削り落とす。

雇用は減らし、非正規雇用を増やしたりして給与支払いを抑えると、消費の減退と低所得層の増加を招く。

将来に向けての投資を削ると経済活動の拡大発展を阻害し、イノベーションの欠如で将来成長の芽を摘んでしまう。

極端な節税、なかんずくタックスヘイブンを悪用(?)などは、その国の財政悪化に直結する。

どれもこれも、国民経済的にみると大きなマイナスである。 将来発展にもつながっていかない。

一部の富裕層をどんどん富ますかもしれないが、多数国民にとってはむしろマイナスとなる。

一方、機関投資家などの運用でも成績数字を追い回すあまり、社会や環境などへの配慮はないがしろにされる。

投資は本来、将来社会をつくっていく方向で、お金に働いてもらうものである。

なのに、機関投資家たちは運用成績という無機質な数字追いかけのマネーゲームに、のめり込んでしまっている。

年金など元のお金の出し手は国民であり、将来設計のためのはずが、マネーゲーム運用に堕して良いものか。

さらに悪いのは、そういった機関投資家たちが大株主として企業に短期利益の最大化を強いているのだ。

どれもこれも、世界がマネー資本主義を追求してきた結果の、社会や人々の生活への悪影響である。

一部の高所得層への富の集中が過度に進んだ横で、多数国民の貧困化が著しくなってきている。

それらが、食っていけない人々による暴動や紛争の多発、権威主義的な指導者への傾斜など、地政学リスクを高めている。

どうすればいい? マネー資本主義が巨大なメカニズムとなっていて、そう簡単には崩れそうにない。

生活者投資家という概念を広め、生活者の立場から企業経営などにも影響を及ぼしていくことだ。

この続きは、明日書きます。