企業社会から脱皮しつつある今

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 戦後復興から高度成長期を経てバブル景気に至るまで、日本経済は企業が主体となった発展拡大を遂げた。 国は産業育成を経済政策の最優先課題としてきた。

 一国の経済が急速な発展段階にある間は、国を挙げて産業インフラの整備や企業の設備増強を促進させる必要がある。 そうしないと、人々のより豊かな生活を求めるニーズの高まりに追いつかず、経済成長も遅々たるものとなる。

 とにかく産業育成だ、設備増強だとやっていると、雇用はどんどん増える。 それで日本各地の農村部から、より高い収入を求めて都市や産業コンビナートへと人口移転が急速に進んだ。

 1億総サラリーマン化といわれるようになったのも、この流れに沿ったもの。 そして、企業社会という生活文化が培われていった。

 会社の寮、社宅、終身雇用、年功序列の賃金体系など、どれも企業社会を象徴している。 社畜という嫌な言葉さえ一般化した。

 ところが、バブルが弾けて間もなく26年が終わる。 その間に、企業社会という文化はあちこちで綻びが生じ、どんどん崩れていっている。

 終身雇用は形骸化しつつあるし、会社人間的な働き方や生き方を見直そうという声は、あちこちから聞こえてくる。 サービス残業は相成らぬといった見解も常識となってきた。

 ここでしっかり考えたいのは、戦後40年間で醸成されてきた企業中心の社会を、ただ単純に否定するのでは知恵がなさすぎるということ。

 たしかに、国や企業におんぶにだっこの時代は終わった。 いま問われているのは、個々人がどう人間的であり、かつ自立した生活文化をつくっていくかだ。

 たとえば、とにもかくにも働き過ぎがいけないというが、そんなもの個々人の好きでいい。 古今東西、上を志す人間はがむしゃらに働くのが鉄則である。 人の2倍3倍と働かずして、どう社会の中で伸し上がっていくのか。

 そういった猛烈人間がいてこそ、経済のダイナミズムが生み出される。 9時5時の役所的な人間ばかりでは、おとなしい消費文化だけの経済となっていき、成長はおぼつかない。

 サービス残業だろうが、なんといわれようが先輩から学びたい人間はいる。 そういった仕事が好きで好きでたまらない人間がいてこそ、世界に誇る技術も伝承される。

 しばらく前に書いたが、経済の流れにも男時と女時とがある。 これだけじり貧と低迷を続けている日本経済に求められているのは、なにがなんでも経済的成功をものにしてやろうとする荒々しい力だろう。

 その力も、かつての企業社会的な競争に飛び込んでいくのとは違う。 ただただ自分の金銭的な富を追い求めることでもない。

 求められているのは、成熟経済化した日本で、どう社会の富の増殖に貢献していくかだ。 元気のない社会をなんとかしようとする公憤をエネルギーとしたものだ。

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