日本経済のジリ貧、その隠れた理由

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 日本経済は1990年代に入って20年余り、ずっと低成長を続けている。 低成長というよりも、ジリ貧である。 実際、経済規模は90年代前半の528兆円をピークに縮小トレンドを辿り、470兆円を切るまでに凋落した。

 アベノミクスに代表される経済テコ入れ策の連発で、ようやく482兆円ほどにまで戻してきたところである。 この数字は名目の数値、つまり経済活動の現状を時価で示したもので、日本経済の実力といえる。

 ところが、その間のデフレ現象を考慮すると、実質の経済規模はそれほど大きく縮小していないということもできる。 いわゆる、名目値と実質値との違いである。

 そこに、問題がある。 日本経済は20年余りずっとジリ貧をたどっているのだが、人々の生活水準はなんとか現状を維持できている。 このままではヤバいぞと、日本経済の将来に不安を感じながらも、まだまだ行けるのではないかといった妙な安心感に浸っている。 そういったユデガエル状態が、日本経済や社会の現実であろう。

 ユデガエル状態とは? 日本経済は成長力を失っている。 このままでは、いずれ今の生活水準を維持できなくなると国民の多くが感じている。 なのに、現状のぬるま湯から外へ出ようともしない。 ぬるま湯が熱湯になっていくにつれて、カエルは何の抵抗もなくお陀仏となっていく。

 成長力を失っているとは? 富を創出する人たちや、富を拡大再生産できる企業や個人が減っている横で、国の予算つまり税金で食っている層をはじめとして他力本願の人達が著増している。 それでは、活力にあふれる経済や社会は望むべくもない。

 1992年の9月に発表された総合経済対策を皮切りに、2012年までの20年間で毎年平均すると19兆6000億円の景気浮揚予算が計上されてきた。 単純計算すると日本経済を3.7%~4.1%も引き上げるだけの予算を組んでいるというのに、まったく功を奏していない。

 どうしてか? 日本の政治は90年代の不良債権処理から始まって、ずっと後ろ向きの予算投入を優先してきた。 表向きは、企業倒産の続出で大量失業を発生させないということだが、実体はゾンビ企業などを生きながらえさす方向で、これでもかこれでもかと予算を投入してきたのだ。

 小泉政権が金融機関の不良債権を強制処理させたのを例外として、ほとんどが政官民の既得権や利権を温存する方向で景気対策予算は組まれてきた。 それを20年も続けていれば、多くの人達の意識も意欲も甘くなって当然であろう。

 どうしたら良いのか? やはり、徹底的な規制緩和と民営化、そして大幅減税の断行だろう。 今すぐにでも動ける人たちや企業に、自己リスクと自己資金でもって富を創出する方向で動いてもらうことだ。

 返す刀で、官業はじめゾンビ企業への補助金などは3年から5年で全廃する。 税金で食っている層には、自分の力で生きていく道を模索させるのだ。 そんなこと、経済では当たり前である。

 格差とかああだこうだの議論は横へ置いて、ともかく日本経済のパイを大きくするのだ。 それには、自助の精神と自助努力で動ける層が、持てるエネルギーを最大に発揮するのが一番。 パイさえ大きくなれば、おのずから富の再分配も始まり、国民の皆が豊かになる。

 日本の政治がそこまでやれるだろうか? このまま行ったら、ユデガエル状態が待っているだけのこと。 国の財政もどこかで破たんして、予算も編成できず政治の利権や業者と癒着した行政は、ゾンビ企業もろともガタガタになるだけ。

 まあ、そうなっても長期投資家は慌てなくてもいい。 われわれはずっと自助自立の方向でお金に働いてもらっているのだ。 人々の生活をベースとして、それを支える企業を応援する長期投資は、どんなことが起こってもなくなりはしないのだから。

 明日は早朝からの出張で、長期投資家日記はお休みです。