ブランド投信

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 昨日は、たまたま2度のミーティングで、”投信のブランド化について” がホットな話題となった。 あえていえば、投信を越えて金融商品全般で ”これぞ、ブランドだ” と、誰もが認めるものが果たしてあるだろうか。

 かつて、1兆円ファンドとか SRI (社会責任投資)ファンドとかが、世間の話題を集めた。 なかでも、5兆8000億円を超す巨額資産残高を誇った、国際投信のグロソブというファンドが一世を風靡した。

 しかし、それらのいずれもがブランドファンドかどうかとなると、さてどうかなと言わざるを得ない。 なぜなら、あのグロソブでさえも資産額が1兆円台にまで激減して、往時の輝きはないのだから。

 真のブランドは、世の人々から時代の移り変わりを越えても普遍的な価値を認められるものだろう。 本物の価値といおうか。 そんな金融商品が日本にあるだろうか?

 投信でいうならば、時間が経てばたつほどにより広い裾野から投資家顧客が集まってきて、いつの間にか大きな資産をお預かりするようになっていくようなファンドだ。

 そういったブランドファンドに育っていくためには、なによりも運用の哲学や方向性がブレないことだ。 投資家顧客が安心し信頼して長期の財産づくりを託せるのも、長期の投資哲学と運用体制が盤石であってこそである。

 逆に、目先の運用成績を競うような営業第一に走ってはならない。 相場動向を追いかけていたら、長期投資どころではなくなってしまう。 それどころか、どこかで大きくやられてしまう。

 たとえば、世界的にみても国債バブルは明らかである。 バブル化しているというのは、国債価格が高値圏にあるということであり、いつかどこかで大きく崩れるはず。 そのリスクを今の段階から削ぎ落としておくのが、長期投資である。

 しかし、目先追いの運用では国債バブルと分かっていても、実際にバブルがはじけるまでは他社との運成績比較からも、途中下車できないまま突っ走ってしまうことになる。 結局は、大きな運用損失を抱え込むことになる。 そして、顧客資金の流出に直面させられる。 そういった運用から抜け出せないようでは、ブランドファンドにはなり得ないよね。

 この5年から10年の間には、そのあたりがはっきりしてくるだろう。 そして、これぞブランドといえる投信ファンドが登場していることになろう。