宝の持ち腐れ

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こう書きだすと、すぐピンとくるだろう。 預貯金にボケッと預けてある資金のことだ、宝の持ち腐れで最たるものは。

小さい頃から叩き込まれてきた、無駄遣いはしない、余ったお金は貯蓄にまわすべしという教えが、いまや日本経済の最大のがんとなっている。

かつては日本全体が貧しく、1銭のお金も無駄なく経済建設にまわすことが求められた。

それが勤倹節約と貯蓄信仰という精神的なスローガンとなって、日本人の骨の髄にまで浸透していった。

明治維新後の急速な経済発展も、戦後の驚異的な復興も、国民の資金が余すことなく経済建設に投入されたからだ。

しかし、日本経済が成熟化の段階に入った80年代半ば頃からは、勤倹節約と貯蓄信仰がマイナスに働くようになってしまった。

経済建設が進んで設備増強投資に急ブレーキがかかってきた。 企業の資金需要が急減しだしたのだ。

それなのに、国民は相変わらず貯蓄に励むから、銀行など金融機関に資金がどんどん積み上がっていく。

行き場を失った資金は土地は株式への投機となっていって、80年代後半のバブルにつながった。

バブル崩壊後も日本経済の低迷停滞で、国民は将来不安から一層の預貯金シフトに傾いていった。

それが、いまや個人の預貯金マネーが880兆円と、国内総生産(GDP)の1.6倍にも膨れ上がって、まさに宝の持ち腐れとなっている。

この状態を打破するには、新たなる精神的スローガンを日本人の一人ひとりに浸透させていくしかない。

新たなる精神的スローガン? お金をまわすべし、預貯金に抱え込まない。 この考え方を一般化させていくのだ。

お金をまわすということは、自分の意思や目的が常に問われる。 誰に?どういう風に?といった具合にだ。

一方、預貯金に抱え込まないということは、自分のお金を丸投げ無責任にしないということ。

丸投げ?無責任? そう、銀行や郵便局にお金を預けて、元本は安全に利息は頂戴、後はこのお金どうつかってくれてもいいですよなのだから。

つまり、自分のお金に働いてもらうということだ。 そこには、自分の意思や目的がはっきり反映されることになる。

具体的には、長期投資でいい世の中づくりに働いてもらう。 芸術や教育・スポーツ・技術といった分野で頑張っている人たちを応援してもいい。

寄付で富の再分配に積極加担して、多くの人々の生活をサポートし、消費の底上げを狙うの大事である。

これらのどれもが、日本経済の活性化につながっていく。 それがまわりまわって、自分の所得増加につながっていくことになる。

これが成熟経済の成長パターンで、それを確立していくのだ。