昨日の玄さんとの対談は、充実したものになった。 なにしろ、「情」を忘れたお金というテーマがいい。
将来が不安から始まって、お金持ちになりたいまで、多くの人の願いは「お金を持つこと」で終わってしまう。
そこから先、どうするの? お金を持つことが目的? それで終わっていいの? そう自問したことがあるだろうか?
たしかに、お金は持った、老後不安はなくなった。 凄いといわれる、お金持ちになれたかもしれない。
で、それでなんなの? 自分は幸せ、自分だけ満足できれば、それでいいの? 自分だけ? まわりは?
まさに、「情」を忘れたお金だ。 自分さえ良ければ、まわりのことなど知ったことではない、そういった生き方を良しとしている。
ここに、お金は天下のまわりものだ、お金をまわそうよの考えを放り込んでみよう。 そう意識した瞬間に、状況は一変する。
お金をまわすとなれば、どこへ、なんのために、どうして、といった目的が問われる。 もう、そこは「自分だけ」を越えた世界。
当然のことながら、まわりに対する意識がないと、お金をまわすもなにもない。 なにも始まらない。
そう、自分の中に潜在していた、まわりに対する思いや情といったものが、放っておいても浮かび上がってくるのだ。
すると、不思議なもので、お金に対するこだわりがどんどんほぐれていく。 お金は持つものではなく、まわすものだという意識がどんどん高まっていく。
まわしたら、自分のお金が減って損をするといった、せこい気持ちが遠のいていく。 逆に、まわすことで得られる満足感が高まる。
これ、長期投資に当てはめると、一発で理解できよう。 儲けよう、お金を殖やそうで躍起になっている間は、取ったり取られたりの繰り返し。
ところが、どうぞこのお金おつかいください、お役に立ててくださいと、皆が売り逃げと現金化に走っている時にまわしてあげる。
すると、状況が良くなってくるにつれ、まわしてあげたお金が、ありがとうといって戻ってくる。 減るのではなく、殖えて戻ってくるのだ。
寄付もそうだ。 国民経済的に考えると、寄付したお金は受け取った人たちの消費となって、経済活動に加わってくる。
その分だけ、経済は拡大するわけで、結果として国民所得の増加につながっていくのだ。
となると、おかねをまわすって、情があって国民経済的にもプラスとなるのだから、すばらしいことだと思えないか。
そんな盛り上がり方で、この対談の続きは4月12日(金)の19時から、ウチのオフィスでやることになった。
200名ぐらいの参加者の前で先ずは玄さんと対談し、後半は質疑応答だ。 みなさん、どうぞお集まりください。