民意そして民主主義

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 大阪の都構想は反対の方向で決着がついた。 大阪の人間ではないので、どちらが良かったのかの判断は差し控えるが、民意をまとめるのは大変だなとあらためて思った。

 実際、選挙でも有名人とか名前を連呼するだけで票を集めるのは、よくある話。 また、いざ投票所へ出向いても、よほど候補者の研究をしておかない限り、どの候補に一票を入れるか迷う人も多い。

 それでも、選挙の結果は民意ということになってしまう。 本当にその民意が良いのかどうかはさておき、選挙で選ばれた人々が政治を担当することになる。

 そういった流れの先には、ポピュリズムといわれる大衆迎合政治が待っている。 多くの人々が好む方向で政治が営まれるということは、痛みを伴う改革はトコトン避けて現状に安穏とする政治にどんどん傾斜していくわけだ。

 そのうち、どこかでどうにもならなくなって、みながお手上げとなる。 よくいわれる、ユデガエルだ。 水に浸ってのんびりしているカエルが、ゆっくりお湯になっていくのに最期までつき合ってしまう。 気が付いた時には茹で上がっているという図式。

 日本の政治もどうやらユデガエル方向へと突っ走っているようだ。 年金も財政も、このままではもたないのは自明である。 それをなんとかもたそうと努力はしても、抜本的な改革には踏み込もうともしない。 そのうち気が付いた時には、もう遅かったということになるのだろう。

 なぜかかというと、痛みを伴う大改革を選挙民が望まないからだ。 政治家も選挙で負けたらただの人、それが怖いから大衆迎合的な政治に走るという悪循環となっていく。 

 誰も苦い薬を飲みたくはない。 本当なら、そこを断行すのが政治というものである。 将来の社会に責任を持つならば、いまどんなに苦い薬でも国民に飲まさせなくてはならない。

 残念ながら、日本の政治家にそこまでの勇気と果断なる行動力を期待できそうにないし、このままズルズルと現状に甘んじるを良しとする国民は圧倒的に多い。

 またいつもの繰り返しとなるが、われわれは長期投資をしっかり進めておこう。