公的年金の将来不安

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 情報化社会といわれ、そこへインターネットの普及で、年金に関する情報も詳しく入手できるようになった。 なかでも厚生労働省が発表する年金がらみデータや、それに基づく年金の将来見通しは、国の年金政策のベースとなっている。

 まあ、専門家は公的なデータをベースに、いろいろ議論しては政策の方向を定めるのを仕事としているから、それはそれでいいだろう。 ただ、結果責任は誰も果たしていない。 その証明が、年を追うごとに年金財政が悪化しているという現実。

 もし、情報化社会らしい精緻な現状把握データに基づいて、適切な政策を打ち出しているならば、国の年金財政がかくも悪化してはいないはず。

 世界最速のスピードで高齢化が進んでいるから、年金の給付負担が予想以上に急増した? 冗談ではない、人口構成の逆ピラミッド化はずっと以前から進行していた。

 そのあたりの統計データを発表している国や厚労省が、急速な少子高齢化の進行をしっかりと年金政策に反映させてこなかっただけのこと。 政治家はじめ専門家といわれる人達の無作為責任こそ問われるべきである。

 ここからが、今日の本論である。 国やら専門機関から出されている公式な見解や統計データは、ひとつの情報にすぎない。 それを丸々うのみにすることなく、自分の頭でもしっかりと考えよう。

 難しいことではない。 普通に考えるのだ。 高齢化社会がどこまで進むかは知らないが、年金を受け取る人がまだまだ増えるのは間違いない。 一方、年金を積み立てる人々は相対的に減っていく。 どう考えたって年金財政は苦しくなるはず。

 となれば、いずれ年金受給層への給付額を減らすか、現役層の積立額を増やすしかない。 あるいは、その両方を同時に実行するかだ。 どちらにしても、公的年金の将来は相当に厳しいものがあると、誰だって考えられる。

 だったら、公的年金とは別に一人ひとりが長期保有型の投信を積み立てるなど、自分年金づくり対策を講じておくに如かずだろう。 自分年金づくりであれば、国の統計データが恣意的すぎるとかの無責任に付き合うこともない。

 その横で、公的年金の抜本的な制度改正の声を高めよう。 国の財政運営で年金など社会福祉予算と一般予算とを分けてしまい、現行の消費税を廃止して年金給付のみに絞った社会福祉税を新設すると、政治がすっきりする。

 高齢者への年金給付を、国民全員が広く薄く負担するのだ。 その代わり、国民年金の積み立てはなくなるし、公的年金の運用もなくすことで、年金がらみ経費を大幅に削減できる。 これで、公的年金の不透明さや将来不安は一掃してしまえる。

 一方、政府は所得税ベースの一般予算に専念して、財政の健全化に集中することになる。 高齢化に伴う年金財政を分離してしまえば、予算執行の透明性も高められる。 どちらも、国民にとって歓迎すべきことである。