ずっと前から、つくづく大変だなと思いながら眺めてきたのが、一般的な投資である。
一般的な投資? そう、個人投資家も機関投資家も、みなひっくるめて「お疲れさま」だ。
どの投資家も、儲けよう儲けようで、あるいは成績を上げようで、マーケットにぶつかっていっている。
そのマーケットでは、うまく上昇相場をとらえて投資収益を得よう、成績を上げようと、みながシャカリキとなっている。
そういった上昇相場だが、なんのことはない。 儲けよう儲けようの思いが、大きく集合したものにすぎない。
儲けようの裏返しは、損したくないである。 つまり、儲けようの集合体は瞬時に損したくないに一変する。
それが相場というものである。 あまたのマーケット参加者の儲けたい損したくないで、どっちにも転がっていく。
一般的な投資は、そういった変転きわまりない相場を相手に、大事な虎の子を投入するのだ。
当然のことながら、儲けたいという欲望と、損したくなという警戒意識を織り交ぜての、マーケット参加となる。
それが故に、ちょっとした変動にも敏感に反応してしまう。 その反応が、マーケット動向に影響を与える。
ちょうど、高速道路などで前の車が、たまたまブレーキを踏むのと同じである。
その赤ランプを見て、後続の車が次々とブレーキを踏む。 それが、後方での渋滞につながっていく。
あるいは、事故などの見学渋滞も同じである。 どの運転手も事故現場を見ようとする。
それが、後続の車に渋滞をもたらす。 事故現場を通過すると、渋滞していた車の流れは一気に解消する。
このように、どっちにでも転がっていくマーケットでの価格変動を相手にしているのが、一般的な投資である。
これは、文字通り大変である。 だから、冒頭で「お疲れさま」と書いたわけだ。
われわれ本格派の長期投資家は、マーケットとはつかず離れずの立ち位置を、絶対に崩さない。
その上で、これはと狙いを定めた投資対象が大きく売り込まれたら、さっさと買いに入る。
そのうち、どこかで投資家人気が高まって大きく買われだしたら、適当に売り上がっていって利益確定となる。
そう、マーケットには飛び込まず、つかず離れずだ。 いつでも、自分の投資スタンスとリズムを守る。
これが、本当の投資というものである。 自分のペースで投資するだけから、なんとも楽なもの。
もちろん、安く買って高く売るの、投資の基本は守れる。 だから、安定度と再現性の高い資産づくりとなっていくわけだ。