投資なくして、安心なし

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恒産なくして、恒心なしという教えが昔からある。 ある程度のお金がなくては、人間としての優しさや心の安定がないといった意味。

そうはいうものの、貧乏の中にもいくらだって優しさや思いやりはある。 一概に「恒産なくして、恒心なし」とは言い切れない。

一方、今日の表題である「投資なくして、安心なし」は、相当に説得力をもっている。

とりわけ、成熟経済において投資はもう絶対不可欠となる。 自分も頑張って働くが、お金にも働いてもらうのだ。

なにしろ、経済全体のパイがなかなか大きくならない。 つまり、ひとりひとりの所得の伸びが鈍くなる。

ごくごく自然と、「お金にも働いてもらって、収入を増やそう」という考えが、人々の間で定着していく。

ところが、日本では一向に投資へのシフトが見られない。 大半の人々は預貯金に預けたままにしている。

その金額は873兆円と、日本経済の1.7倍の規模となっている。(2017年12月末)

これは、世界最大の眠れる資源というよりは、世界最大の「もったいない」である。

なにしろ、その預貯金から生み出される富(家計収入、税引き前)は、年0.01%にすぎない。 つまり、873億円だ。

それが、たとえば「さわかみファンド」に投資しておくと、年率複利で5.3%の成績だから(2018年3月末)、46兆円もの金額となる。

日本経済の9%にも及ぶ富が、新たに創出されることになるのだ。 どれほど「もったいない」ことか。

それが、個人も日本全体でも不安に陥っている現実となって表面化しているわけだ。 なんともお粗末な現実ではないか。

とはいえ、預貯金の持ち主は個人個人である。 「投資なくして、安心なし」が分かった人から、動き出すしかない。