マーケットを追いかけて、運用益を叩き出そうとするのを資金運用という。
狙うは、マーケットでの価格変動であり、そこでいかに値ざやを稼いでいくかである。
一般的な投資運用といわれているのは、ほとんどこの資金運用タイプである。
個人投資家が株を買って儲かった損したを繰り返しているのも、やはり資金運用である。
年金などを運用している機関投資家の大半も、マーケットでの価格変動を追いかけては値ざやを稼ごうとしている。
稼いだ値ざやを積み上げて毎年の成績とし、それをもってプロの運用としているわけだ。
これらは、どれも「投資運用もどき」といえる。 どれもこれも、マーケット動向からは一歩も離れられない。
チャートをつかって価格動向を読んだり、1秒間に1000回を超す売買を繰り返す高速取引も、マーケットでの価格変動を相手にしているだけだ。
ちょうど、孫悟空が自慢のきんとん雲に乗って自由自在に飛び回っているが、しょせんはお釈迦様の手の平の中。
お釈迦様が手の平を上から下へ返したら、あっという間に吹っ飛んでしまう。
それとまったく同じ、投資運用もどきに浸っているのが、個人や機関投資家のほとんどである。
どういうことか? 簡単なこと、いまのマーケットが暴落に転じたら、みんなまとめてひっくり返る。
そして、積み上げてきたはずの投資収益を吹っ飛ばしたり、大きな損失を食らったりする。
その挙げ句に、個人なら投資は難しい、リスクが多いと嘆くのが毎度のこと。
機関投資家なら、予期せぬマーケットの暴落に遭遇した、これは不可抗力だったと弁明して責任転嫁。
このあたりが、資金運用をベースとした「投資運用もどき」の限界である。
本物の投資運用では、いついかなる時でも資産の保全を意識しつつ、いかに資産を殖やしていくかに徹する。
マーケットの暴落はもちろんのこと、経済社会現象などで資産の大きな損耗を食らったら、元も子もない。
そういった資産損耗リスクを避けつつ、少しずつでも資産を殖やしていこうとするのが、投資運用というものだ。
いま世界をみるに、カネ膨れしてきた金融マーケットに対し、インフレと金利上昇という刃が突き刺さってきた。
全体方向としては、もういつどこでプシュッと穴が開いて、バブルがしぼんでいってもおかしくない。
それで生じる金融商品全般の価格下落からは遠く離れておくのが、投資運用というものである。
機関投資家たちは音楽が鳴っている間は踊りを止めれないのだろうが、われわれ長期投資家は暴落を待って踊りだそう。