上昇相場に沸いているが、、、

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昔からずっと、年末にかけての上昇相場は大歓迎で、気分良く年越しを迎えられると明るい気持ちだった。

唯一の例外は、1989年の年末だった。 史上最高値をつけた、あの年末だ。

日本株はバブル高していて、来年は日経平均で5万円も射程距離だと、株式市場は沸騰していた。

12月の半ばに日経新聞が識者や専門家そして経営者など50数名から集めた来年の相場予想でも、皆ガンガンの強気だった。

たった一人、つまり自分だけは、バブル崩壊で大きな下げを予想していた。

それどころか、そのずっと前から、つまり1988年の8月から一貫して日本株は売りの姿勢を貫いてきていた。

そのあたりは、当時の日経新聞の夕刊にあった、「プロの眼」というコラムに5回ほど載っている。

おもしろいのは、そこからだ。 90年代に入って、日本株市場も金融マーケットも暴落に入った。

そこでだが、さすがは本物の長期投資家だと、お褒めにあずかったわけではない。

それどころか、マーケットも大暴落の渦中にあり、投資家も市場関係者もどう逃げるかで右往左往するばかり。

とりわけ機関投資家は巨額の投資損失と含み損で、売れるものは何でも売って現金化しようで必死だった。

そのおかげで、1年半前から売り上がっていって現金ポジションが高かったこともあって、解約が殺到した。

澤上さんとこに預けている投資勘定しか現金化できない。 申し訳ない、恩にきるとかで、数千億円の契約が引き揚げられた。

なんのことはない、早めに現金化し抜群の成績だった自分とこの契約が、真っ先の解約を食らったわけだ。

それほどまでに、機関投資家のみならず金融界全般が大混乱に陥っていた。

いまは、あの当時と同じ展開となっている。 当時は、暴落の1年半前からバブルの終焉に備えていた。

今回は、数年前からカネ余り上昇相場の大崩れを予測して、売り上がりを主張してきている。

ここまでは、下がる下がると騒いで、まるでオオカミ少年の様だったかに見えよう。

何といわれようと構わない。 バブルが崩壊したら、みな嫌というほど痛い目に合う。

実際は、痛い目に合うどころではない。 ひどい投資損失と、売るに売れない投資勘定でのたうち回ろう。

こちらは、大暴落を待ってバーゲンハンティングしようと、手ぐすねを引いている。

それが、本格派の長期投資家というものだ。