世界的にESG投資とか、SDGsといった言葉が大手を振って歩き回るようになってきた。
環境や社会そして企業統治をもっともっと追求した投資をすべきだというのが、ESG 投資である。
そして、持続性のある社会や経済の発展を目指していくべく、国連が旗を振って17項目の達成目標を定めたのが、SDGsである。
これらは、世界の機関投資家運用が毎年の成績を追い回すあまり、どんどん無機質かつ「後は野となれ山となれ」式になっていったことの反動である。
それが、世界の経済の現場を荒らしまわっただけではない。 社会や環境にも悪影響を及ぼすことになっていった。
それらの反省というか、このまま突っ走っていったら、経済も社会も大変なことになってしまうというのが、そもそもの発端である。
なにしろ、世界の機関投資家がアクティビストたちの後ろ盾となって、傍若無人をやらかしてきたのだから。
たとえば、毎年の運用成績という数字さえ高めればいいということで、企業に短期で株価が上がるよう迫る。
儲かっていない事業部門や工場は、売却するなり閉鎖しろ。 手元資金は投資などにまわすよりも、自社株買いにまわせ。
利益の大半は配当金にまわして、株価を高めろ。 そういった要求を企業に突きつけるわけだ。
その代弁者が、アクティビストたちで、わずかばかりの株式保有をベースに、あれこれと注文をつける。
背後にいる年金はじめ機関投資家という大株主の意向だから、企業の方も逆らえない。
それもこれも、この30年ほどは株主の利益がすべてという価値観が支配的だったこともあって、有無を言わさなかった。
われわれ本格派の長期投資家からすれば、なにを今さらである。 ESGもSDGsも、わざわざ言う必要がない。
そんなこと当たり前というか、はじめから社会や環境に良かれと思える投資しかしていない。
それは、そのまま持続性のある、人間らしい社会をつくっていくことである。
無機質に数字だけを追い回す、世界の機関投資家運用とは、そもそもが違う。
とはいえ、世界の機関投資家運用が少しでもまともになってくれるのなら、それは歓迎である。
しかし、おそらくだがESGもSDGsも、運用資金集めのマーケティングの題材として騒がれているだけだろう。
一昔前の、SRI(社会責任投資)もそうだった。 結局は、マーケティングトークとして一世を風靡しただけで終わってしまった。
まあ、そういったお題目は横へ置いて、われわれは本格派の長期投資を淡々と進めていこう。