サッチャー、レーガン、シュレーダー改革

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昨日の続きとなるが、1970年代半ばから80年代にかけて成熟経済の罠に陥って、長期低迷にあえいでいたのが英国であり米国であった。

そこにカツを入れたのが、英国のサッチャー首相であり、米国のレーガン大統領だった。

長引く経済低迷とその対策で、両国の財政は危機状態にまで悪化し、もう打つ手なしの状況にまで追い込まれていた。

そこで、お二人とも「もはや、国としてできる経済対策は何もない。 民間に動いてもらうしかない」と宣言した。

そして、「国としてできることは、徹底的な規制緩和に民営化、それと大幅減税だけだ」といって、実行に移した。

経済学者など専門家からは、そんな単純な政策で経済が活性化するはずがないと、猛反発を食らった。

ところが、2年3年と経っていくうちに、規制緩和を受けて動き出した一部の民間業者がビジネスを急拡大させ、大幅減税を享受しだした。

それを見て、周りの業者が我も我もと動き出して、4年後には国中で経済活動が活発化するに至った。

経済なんて、人々の生活とそれを支える企業のビジネス活動にすぎない。 そこに、カツを入れたわけだ。

お二人とも、低迷していた英国や米国の経済を復活させた大功労者となった。

惜しむらくは、市場経済を行き過ぎるままに放置し、金融経済を野放図に膨れ上げさせてしまったことだ。

それが、昨今のマネー至上主義の風潮を招き、金融が実体経済を引きずり回す異様さとなって、お二人への評価を下げてしまっている。

一方、1996年に登場したシュレーダー首相は、労働者よりの社民党の党首でありながら、労働改革を断行したのだ。

長らく繁栄ボケしていた西ドイツ国民と、与えられた仕事をこなすだけできた東ドイツ国民が、91年に統合ドイツとなった。

そこへ、旧東ドイツ国民の年金を西ドイツ並みに引き上げたため、ドイツの国家財政は一気に悪化した。

国民が働かないは、巨額の財政負担に喘ぐはで、90年代のドイツは「ヨーロッパの病人」といわれ続けた。

そんな中、シュレーダー首相は企業に対して、働かない労働者を解雇する自由を与えた。

解雇された労働者には、国が生活保障と再教育を責任持つとして、労働改革を断行したわけだ。

国中から猛反発が巻き起こったが、シュレーダー首相はひるむことなく政策を推し進めて、ドイツ企業の活力を醸成していった。

3年もすると成果が出始めてきたところに、2000年に統合ヨーロッパすなわちEUが発足した。

8000万人のドイツ市場が、一挙に5億人余のEU市場へと拡大され、ドイツ企業を大飛躍を遂げた。

以後、一人勝ちのドイツという栄誉の礎を気づいたシュレーダー首相は、2002年の総選挙に敗れて野に下った。

お3方のような政治家が登場してくれたら、日本もたちまち蘇るのは間違いないが、皆さんどう思いますか?