自己改革できない日本

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日本では、なにかにつけて利害調整が絡んできて、確固たる新しい方向性をなかなか出せない。

そしてそのまま、先延ばしでお茶を濁してしまうことが多々ある。 結果として、国益や国民の生活に大きなマイナスをもたらしている。

その典型は、いつも書いている原発問題だ。 福島原発事故から10年が経ったが、その間に国は一体なにをしてきたのだろう?

ひたすら原発の再稼働に向けての安全性確認に終始し、稼働年数を40年から60年に延ばしただけではないか。

その間に、ドイツはもちろんのこと米国や中国でも、風力発電が驚異的なスピードで普及していった。

その関連事業は巨大な産業に育っていったが、日本のメーカーは逆に脱落していっている。

かつて世界の過半を握っていた太陽光発電と同様に、新しい産業を手放してしまったわけだ。

また原発でさえ、より小型で冷却問題にそれほど悩まない新しい原発も、米国では普及の段階に入ろうとしている。

要するに、日本は何もしてこなかった。 原発をどう位置付けていくのかの、国民的な議論もしないままだ。

その横で、代替エネルギーや温暖化防止策の分野では、各国からは大きく引き離されてしまった。

その挙句に、日本が世界をリードしてきた超高々度臨界型の石炭火力発電技術も、脱炭素でお蔵入りになろうとしている。

世界の流れから、あれもこれもという感じで置いてきぼりを食らっているのだ。

もっとも、中央官庁などは世界の流れに鈍感どころか、多くの新しい情報をつかんでいるはず。

ところが、政治の世界では既得権益層との利害調整やらが前面に出てきて、なにも決められないままなのだ。

そういった日本が変わるには、もう利害調整とか言ってはいられないような、非常事態を待つしかないのか。

いわゆる、ガラガラポン状態だ。 それこそ、経済や社会が大混乱に陥ってしまう。

そうなると、個々の経済主体が自分の生き残りに必死となり、放っておいても生命力のあるところが浮上してくる。

このあたり、今後いろいろな角度から書いていこうと思う。