よくいわれる比喩に、ゆでガエル現象というのがある。 茹でガエル化ともいう。
水に浸かっているカエルの容器を、徐々に熱していっても、カエルはのんびりしている。
環境の変化に対し、なんとかなるだろうと高を括っているうちに、茹で上がってしまう。
一方、自然に生息しているカエルを熱湯の容器に放り込むと、瞬時に跳ねて逃げてしまう。
この比喩は、そのまま日本社会や経済の現状に当てはまる。 国民の多くが、ゆでガエル化の道をズルズルと辿っているではないか。
いま浸っているぬるま湯が、徐々に熱く(やばく)なっているのを感じ取りながらも、そこから飛び出ようともしない。
ひとつ例をあげよう。 年金財政や医療保険の現状が少子高齢化などで、どんどん厳しくなっている。
それに対し、多くの高齢者は自分たちが生きている間だけ、制度が持ってくれればいい。
そんな程度の感覚で、国の財政がどんなに悪化していようと、もらえるものは貰っておけだ。
今なんとかなっているからの感覚は、年金などの受益者のみならず、為政者たちも同様である。
もうしばらく、自分の任期中だけでも現状をなんとか維持できれば、それで良しだ。
そういった高齢者や為政者たちの自己中心というか無責任さには、目に余るものがある。
笑ってしまうのは、その人たちをも含めて茹で上がっていこうとしているのだが、それに気づかないことだ。
このままいくと、どこかで茹で上がる。 その時は、年金制度も医療保険もズタズタになってしまっている。
では、どう自助の対策を講じるか? 年金や医療保険の制度ともなると、国を挙げた対策が必要となる。
しかし、自助の対策となれば簡単である。 その気になれば、今すぐにでも始められる。
そう、年0.01%にも回らない預貯金を、長期の株式投資に振り向ければいいだけのこと。
この先、景気やインフレ/デフレ動向がどうあれ、人々の生活とそれ支える企業活動はずっと続く。
生活者にとって、なくなっては困る企業を応援しようとする長期の株式投資で、お金に働いてもらうのだ。
これほど安心できて、長期的には殖えていってくれる資産の置き場所はない。
そういった、お金の働きを加えていけば、いくらだって自助の老後対策となっていく。