目先の運用競争で、なにが生まれるか

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機関投資家の世界では、運用成績がすべてである。 顧客資金を預かるにも、マーケティング活動にも、より良い運用成績が求められる。

マスコミなども運用会社ごと、あるいは各ファンドの成績比較は格好のテーマとばかり、ガンガンに書き立てる。

どちらも、大いに誤解を招きやすいという問題点をはらんでいる。

第1は、どのくらいの期間を想定するかで、成績差はまったく違ってくる。

たとえば、マスコミは最近の株価上昇を見て、どのファンドが優秀かと比較したがる。

こんなもの、たまたま株価上昇トレンドに乗ったかどうかであって、どこまで各ファンドの実力を評価できているか疑問である。

第2に、ファンドの規模を無視して横並びに比較しがちで、小さなファンドが上位に来やすい。

ためしに、そんな小さなファンドに成績が良いと評価されたからと、大きな資金が集まるともうダメ。

大きな資金を運用する能力がないから、たちまち成績はガタガタになってしまう。

第3に、比較する期間をどう設定するかで、成績差は大きく違ってくる。

ちなみに、さわかみファンドの21年余の成績に対応できるファンドは皆無に近い。

どうしても、マスコミは多くのファンドが出そろってからの、ここ12年ぐらいの成績を横に並べて比べたがる。

すると、リーマンショック後の株価上昇を背にしたファンドは、放っておいても良い成績となってしまう。

第4に、そもそも年金運用では20年30年の実績を問うべきである。 70年代前半までは、それが常識であった。

ところが、年金資金獲得のマーケティング競争が激化した80年代からは、毎年の成績をどうのこうの云々するようになってしまった。

その結果が、アクティビストたちの強大な後ろ盾となって、株主利益追求で企業に圧力かける流れをつくってしまった。

株価を上げるために、企業に短期利益追求の経営を強いるは、自社株買いや配当増加を迫るはで、株式市場を短期運用の博打場にしてしまっている。

年金を積み立てている一般生活者の大事な資金を運用する立場の連中が、企業を食い物にしては多くの人々の生活基盤を破壊しているのだ。

そう、儲かっていない工場を閉鎖しろとか、事業部門を売却して現金を積み増せとか、目茶苦茶な要求を大株主の立場で企業に突きつける。

たしかに目先の成績は上がるかもしれない。 しかし、その成績は一体だれのものなのか?

ことほど左様に、運用成績とやらには要注意である。