コロナで、ゾンビ化する経済

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今日は、きわめて微妙なことを書くが、ひとつの見解として読んでください。

いまコロナ問題で、世界はウイルス感染の拡大阻止やら景気対策に、あらゆる努力を重ねている。

その中には、生活保障や企業の資金繰り支援も入ってくる。 あたかも、そういった対策を講じるのが当たり前のこととして。

コロナ問題でガタガタになった経済活動を、そのまま放置していると、世界経済はもっと酷いことになる。

それを防ぐためにもと、各国は前代未聞の財政出動と、中央銀行による無制限の金融資産買い取りに踏み切っている。

たしかに、ロックダウン(都市封鎖)や自宅待機で、お店の商売など生活基盤を奪われた人々に対する支援は急がれる。

そういった対策方向に、なんの異存もない。 一刻も早く生活や経済活動が平常に戻ってもらいたいと、誰もが思う。

さは然りながら、ひとつ考えておいた方がいいだろう点がある。 それは、世界経済のゾンビ化だ。

中世のペストや、20世紀初頭のスペイン風邪では多くの人が亡くなった。 他にも、コレラや天然痘といった病魔にも襲われ続けている。

疫病や病原菌の猛威に対し、人々は為す術もなく命を失っていったし、経済活動も大きく落ち込んだ。

これは、人間社会のみならず自然界では避けられない淘汰現象、あるいは適合力の試練ともいえよう。

ウイルスや病原菌に対する抗力の強い生命体は生き残り、次のラウンドの主役となっていく。

時代の変化や環境への適合力に勝った人間や企業が残っていくことで、社会はより健全かつ強くなっていくわけだ。

逆に、淘汰の過程をつくらないまま皆が生き延びると、社会全体では抗力の弱いものになっていく懸念が残る。

そのコストは案外と高いものになる。 自助努力で生きていく個人や企業に紛れて、他力本願のゾンビが増えることのコストだ。

そのコストを、一体だれが払うのか。 どういった負担となって、人々や社会に襲い掛かってくるのか、しっかりと考えたい。

このあたり微妙な点が多いので、十分に気をつけたいが、自然淘汰の効用というものを一度、じっくりと考えるのも必要だと思う。