街の本屋さんがどんどん潰れていっている、出版不況だ、活字文化が失われてしまう、そういった声を頻繁に聞く。
たしかに、通勤の電車内でも本を読んでいる人は、めったに見かけなくなった。
代わって、スマホの画面から情報を入手している人だらけ。 それも、映像情報が圧倒的に多い。
また、デジタル世代とかデジタル・ディバイディドとか、つまりITを駆使できないと世の中で置いてきぼりを食らうと、ささやかれている。
本当に、そうなんだろうか? 本当に、活字を捨てて画像重視へと、社会がシフトしていくのだろうか?
もちろん、記録や記憶といった分野や、蓄積されたデータを瞬時に検索したりは、ITやAIの最も得意とするところ。
また、AIがもっと進化すれば、人間の独壇場ともいっていい発想力や構想力も、かなりの部分は代替されよう。
だから、なんだと言いたい。 社会のITやAIシフトが進めば進むほど、IT技術者の需要は高まろう。
そうはいうものの、人々の生活そのものがデジタル化されることなどない。
情報がデジタル化されたり、AIが人々の生活を多面的に補助するようになっても、飲んだり食ったりはアナログの世界だ。
つまり、好きだ嫌いだといったものから、すばらしいとかで驚く感性の世界は、きわめて人間的なものである。
その象徴が、詩であったり芸術であろう。 いや、文化や伝統技術からスポーツ・哲学の分野まで、感動の領域はずっと人間の世界である。
最近は、AIが作曲の補助をする? そう、補助まではだ。 ちなみに、電子音楽なんて、まったく心に響かない。
深い思考とか、感性の極みなんてところは、やはり活字をはじめとして人間の五感に頼るしかないと思う。
ここからが本論である。 世の中で活字離れが進めが進むほど、その価値が否応にも高まっていく. それが、世の常識である。
長期投資においても、本や活字を通して思考力を涵養していくのは絶対的に重要である。
せっせと本を読んでおきましょう。 それも、良書というものを。