それって、時の審判に耐えられるか?

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さわかみ投信の職場精神の一つに、「時の審判に耐えられる仕事を」というのがある。

時間の経過とともに、すべてがが白日の下にさらされる。 どんなに格好つけたり、その場を取り繕っても、いつかはボロが出てしまう。

そんなものは、時の審判ではまだ序の口である。 時間が経ってみると、どれが本物だったのか、誰がまともなことを主張していたのかは、おのずと判るもの。

では、もっと高度な時の審判って、何なの? 時間が経てばたつほど、人々の幸せにつながっていっているかどうかだ。

たとえば、バブル崩壊後30年間の諸政策はアベノミクスを含めて、景気底割れやデフレ深刻化を防いだかもしれない。

しかし、日本経済の長期停滞は否めない。 その間に、米国や欧州各国の経済ですら2倍強に拡大したのと比べ、悲惨きわまりない。

その主因は、バブル企業や金融機関を救済し、地価や株価の下落による資産デフレ(1100~1600兆円)を穴埋めしようとしたところにある。

当時の政策判断は、銀行が潰れると企業の連鎖倒産は免れない。 それは大量失業を発生させるから、大きな社会問題となる。

そういった事態は、なんとしても阻止しなければならない。 といった論理で、失われた10年はおろか、30年もの停滞を招いてしまった。

その間に投入した景気対策予算は500兆円強。 ゼロ金利政策で家計から奪った預貯金の利子収入は300兆円ほど。

合計しても800兆円で、バブル崩壊で発生した銀行や企業の評価損の半分程度を穴埋めしたに過ぎない。

バブルに踊った銀行や企業の救済に消えていった、この800兆円を前向きに経済の現場にまわしていたとしたら、どうなっていただろう?

単純計算ながら、日本経済は平均して5.3%程度の成長をしていたはず。 今頃、日本経済は2300兆円強のGDPを誇っていて、相も変わらず世界第2位の経済大国であった。

中国経済など足元にも及ばない。 それどころか、米国経済にもじわりじわりと迫っていたはず。

これが、時の審判だ。 当時の政策判断が招いたおぞましい結果であり、ゾンビ企業を大量に生き永らえさせて、日本経済の体力をどんどん蝕まさせている。

後講釈というなかれ。 自分も含めてほんの一部だが、銀行やバブル企業の経営者に責任を取らせろという主張はあった。

不良債権の山は旧勘定として、経営者に処理させるだけのこと。 その過程で、銀行が潰れても構わない。

なぜなら、通常の銀行業務は新勘定に移し、必要あらば公的資金を投入して滞りなく運営させれば済む話。 経済活動には、なんの支障もきたさないのだから。

バブル企業も同様である。 自己責任でもって経営を立て直すか、破産処理を裁判所に持ち込むかは、企業に委ねればいい。

一時的には大混乱をきたすが、日本経済はすっきりかつ速やかに再出発の道を進んでいったはず。

心配された大量失業も、バブルに踊った銀行やダメ企業から労働力が、よりまともな職場に移転するきっかけとなっただけのこと。

もったいないことをした? そう、たしかに。 だが、いまからだって、いくらでも抜本的な改革の手は打てる。

それが、時の審判に耐えられる仕事をやり続けてきた人間の思考力であり発想力というものだ。

えらく自信たっぷり??? さわかみファンドの実績を見てみればいい。 20年たって、ますます実績が積み上がるばかりではないか。