日本人ほど知りたがり屋で、感化されやすい国民はいないのでは、時々そう思いたくなってしまう。
情報に対しやたら敏感なのは、知っていないと皆から取り残されるといった不安感からなのか。
お上に対しては常に絶対とするのは、日本人の習性である。 そこからはじまって、新聞などマスコミ報道も実に素直に受け入れる。
さすがに、テレビのバラエティ番組の内容に対しては賛否両論あるが、その数の多さが人々の「知ること」への関心の高さを物語っている。
もちろん知ることは大事で、なんの問題もない。 ただ日本人の多くは、聞いたことや知らされたことを、全部そのまま受け入れてしまう。
そして、自分の考えであるかのように語ったり、行動を起こすとなると考えものである。
どんな情報インプットに対しても、自分なりの受け取り方や考えを一度かましてやる必要がある。
その習慣をつけると、批判精神が養われるだけではない。 いろいろな物事に対しても、フワーッと流されなくなる。
簡単な例をあげよう。 最近はあちこちで、「日本はもうダメだ、ズルズル落ちていくだけだ」といった発言を聞く。
そういっている本人たちは、一体どこまで本気で「もうダメだ、落ちていくだけだ」と考えているのだろう?
もし、本当にそう思っているのなら、「これはマズイぞ、自分だけでも何とかしなければ」の行動に移っていいはず。
ところが、結構のんびりと日々を送っている。 そのこと自体が、もう既にすごいことなんだが、日本はダメだダメだと言いまくっている。
あるいは、人口が減っていくから心配だという。 皆がそう言うから、それを真に受けて心配だといっている人がほとんど。
いま1億2600万余の人口は、2050年には1億人を切るといわれている。 それでも、現在のドイツ8000万人とか英仏の7000万人弱より多いのだ。
一体、なにをそうも心配がるのよと、聞き直すとみな黙ってしまう。 人口が減っていく、それは大変なことと刷り込まれているだけだ。
ほんの一瞬でも構わないから、「それって本当かな」、「違う角度からみたらどうなんだろう」と、自分で考えてみることが大事である。
自分で考えるようにすると、この件きちっと調べてみようとか、ちょっと勉強してみようとなる。
そうなってくると、情報やら世の風潮にふわふわと流されなくなる。 毎日の生活が地に足がついたものになる。