歴史をさかのぼるに、中間層というものの存在は案外と例外的である。
ほとんどの場合、支配層と非支配層に分かれた社会構造にあった。
支配層は王侯貴族といったほんの一握りの人たちであり、非支配層は農民とか民衆といった大多数の人々であった。
どの時代でも、商工業者は財を蓄えてはいたものの、社会的にはどちらかといえば爪弾きの存在だった。
例外は都市国家で、商工業者が財力を武器に自由と交易を前面に立てて、自分たち独自の繁栄を謳歌した。
古代のカルタゴ、中世のヴェネチア、フィレンツエ、堺、ハンザ同盟のブレーメンやリューベックなどだ。
しかし、近代になり統一国家そして国民という概念が浸透していくにしたがって、民主主義が台頭していった。
すなわち、支配層と非支配層といった社会構造は消え去り、国民みな平等という考え方が一般化した。
その横で、産業革命を経て資本家と労働者といった社会構造が出来上がっていった。
富を独占する一部の人たちと、大多数の一般労働者ならびに農民という図式だ。
その間にも、都市化と工業化が急激に進み、新たに中間層という大衆が生まれていった。
それが、この150年余りの大衆消費社会と、世界経済の急激な拡大をもたらした。
その中間層が、この10数年で急激に退潮を見せ始めているというのだ。
要因は新興国の台頭と、先進国の脱工業化だ。 新興国の発展が低賃金労働力と低価格品を、世界へ大量に輸出し始めた。
それが、先進国の中間層とりわけ単純労働者の仕事と収入を奪うことになった。
同時進行で、IT化やデジタル化の進行についていける人と、そうでない人達の間で収入格差が広がっていった。
最近とみに言われるのが、教育格差である。 貧しい家庭の子女は高度な教育が受けられず、将来の低収入固定化につながっていくというわけだ。
そこへ、金あまりバブルで資産をもてる人達は株高や不動産高を謳歌しているという面も上乗せされている。
さて、表題の中間層の没落(?)だが、歴史をみる限り「それも、あるかな」というところだろう。
もともと中間層なんて、例外的だった。 たまたま、この150年ほどの一時的な現象だったのかもしれない。
ただしだ、ここへ長期投資を放り込んでやると、人類の歴史を変えられるのだ。
自分も頑張って働くが、お金にも働いてもらうことで、収入の減少をカバーできるし、消費の増加にも貢献できる。
せっかくできた中間層が、長期投資をかましてやることで、収入の確保つまり大衆消費社会の中核であり続けることができる。
新興国も、これからどんどん所得を増やしていくが、その先で長期投資をベースとした持続的な発展のモデルを見せてあげられることにもなる。
突飛な考え方と思われるかもしれないが、この長期投資家日記でずっと書いてきたことと併せて、一度じっくり考えてみてください。
すくなくとも、われわれ長期投資家仲間にとっては、ごく当たり前のことと受け取れるはず。