トランプ大統領に代表されるポピュリズム政治が世界に蔓延している。
民主主義の限界というか、悪い側面は、大衆迎合型の政治に流れやすい点にある。
多くの人が支持する方向で政治を行うと、どうしても近視眼的な政策が中心となってしまう。
一方、痛みを伴うような改革は先延ばしか無視を決め込んで、いかに現在の票を獲得するかが大事となってくる。
本来の政治は、大局観に立って将来の国民の幸せに向けた政策を断行するところにある。
たとえ一時的には悪評を受けようと、変えるところは変える勇気と覚悟が政治家には問われる。
シュレーダー改革がそうだった。 1996年に首相となったシュレーダー氏は社民党の党首であるにもかかわらず、労働改革を断行した。
1990年に当時の東ドイツを併合した新生ドイツは、ヨーロッパの病人といわれるほど低迷した。
旧共産圏の生産性の低い働き方が浸み込んだ東側と、繁栄ボケで働かなくなった西側が一緒になったから、統合ドイツの経済は国際競争力の低下に喘いだ。
その上に、旧東ドイツ国民の年金負担がのしかかってきたから、統合ドイツの国家運営はまさに青色吐息となって6年が過ぎた。
そこで登場したシュレーダー首相は、働かない労働者を一掃してドイツ企業の競争力を高めるべく、解雇の自由を企業に与えた。
返す刀で、職を失った労働者には国が保証して職業再教育を徹底させた。
もうひとつは、ドイツ企業が昔から銀行支配下にあった状況に終止符を打つべく、売却益課税免除で銀行に全保有株を手放させた。
このシュレーダー改革は、ドイツ中で批難轟々の嵐となった。 労働者からも金融界からも、猛反対を受けた。
それでも、シュレーダー首相は一歩も引かなかった。 大改革の大ナタを振って3年4年とたつうちに、ドイツ企業が甦りだした。
働かない労働者を一掃した上に、職業再教育を受けた失業者たちが新規の労働力となってきたのだから強い。
そこへ、2000年になってEU発足で、市場統合と通貨統合が相成った拡大ヨーロッパが実現した。
競争力を強化したドイツ企業にとっては、大飛躍の舞台が降ってわいてきた。 以後、ドイツはヨーロッパで一人勝ちの地位をほしいままにしている。
強いドイツ企業をバックにして、ドイツ経済は繁栄を謳歌し、ヨーロッパの病人といわれた国家財政も盤石となっていった。
その横で、2002年の総選挙で敗れたシュレーダー首相は退任を余儀なくされた。
後を継いだメルケル氏が、良いとこ取りをしている形となっている。 民主政治の、なんとも微妙な側面である。
さてさて、昨今の大衆迎合政治で世界は今後どんな姿となっていくのだろう?
いずれ、大改革は必定だが、それは誰がやるのだろう?