年金が当てにできないのなら、自分年金づくりを進めるなど自助の努力で、足らない部分をカバーするしかない。
こんな具合で、自助という言葉をよく聞く。 自助努力を重ねるとか、自助の気概を持つとかもよく耳にする。
一方、公助は国民年金など国のサービスに頼ることだ。 国がなんとかしてくれるという考え方も、そこから出てくる。
では、共助は? 昔は当たり前だった、隣近所が助け合って生きていく社会の姿だ。
そこでは、「お互いさま」とか「お世話さまです」とかの言葉が、あいさつ代わりに交わされる。
さて、最近いわれるようになったのが、年金不安もあって公助はもうそれほど期待できない。
代わって、自助や共助が大事になってくるという考え方だ。 なるほど、そうなんだろうねと誰もが理解できる。
ただ、実際の行動となると、みなフニャフニャと腰砕けもいいところ。 自分年金づくりなど、かなり前からいわれている。
それなのに、887兆円もの個人マネーは預貯金に眠ったままである。 (日銀速報、2019年3月末)
年0.001%前後の利子で、どうやって財産づくりを進めるのか? 資産を2倍にするのに、7000年とか1万年かかるというのに。
その横で、さわかみファンドなどは間もなく20年という長い期間、年5.3%の運用実績を残している。(積立て投資で)
比べるまでもない実績差なのに、さわかみファンドへ向かって個人マネーの雪崩れ現象は起きていない。
一方、お互いさまの共助は、昔は良かったよねといったノスタルジック(感傷的)の世界で生きているだけだ。
もちろん、地方のあちこちで「お互いさま」や「おかげ様」の言葉は、ひんぱんに交わされている。
しかし、「老後の生活を、そこに住む皆で支え合おうよ」といった共助まではいっていない。
ここからが、大事なところ。 さすがに公助は、もうそう期待はできない。 反面、自助や共助に対する共感は得られやすい。
であるならば、自助や共助の意識をそれこそ意識的に高めていこう。 先ずは、本格的な長期投資で自分年金づくりを進めていく。
時間の経過とともに資産の増加が雪だるま式に脹れ上がっていく。 それを実感するにつれて、気持ちの余裕が出てくる。
次なるは、気持ちの余裕が生まれてきたなら、自分のお金の一部をカッコ好く世の中のためにつかうのだ。
趣味でも寄付でも、なんでもいい。 それはまわりまわって、壮大な共助となっていく。
その心はといえば、「おかげさまで、自分はなんとかなっていく」、「だったら、一部は社会にお互いさまだ」でいい。
隣近所と仲良くやっていく。 それと同じ気持ちで、社会に良かれとお金をまわしていく。
こんな流れ、つまり社会的なムーブメントをつくっていこうではないか。