お金の奪い合いと、働いてもらうのとは大違い

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世の中で一般的に投資といわれているものの大半は、ディーリングすなわちマーケットでお金の奪い合いをしているだけのこと。

相場変動をとらえて、たとえば株価が上がりそうな銘柄を追いかけては、値ざやを稼ごうとする。

早く買って、早く売ったものが勝ち。 遅れて買ってきた投資家たちが高値をおっ被される横で、売り逃げた連中は高笑い。

相場は時々刻々と変動する。 それで、儲けた人間が次の瞬間には損させられるのもひんぱんに発生する。

この繰り返しが延々と続く。 そこへ最近は1秒間に1000回を超える高速売買も加わってきた。

すさまじい勢いでディーリングが行われ、そこに巨額の資金が参入している。 それをもって、最近は投資ということになっている。

やっていることといえば、マーケットを舞台にして個人投資家も機関投資家もごっちゃになった、お金の分捕り合いだ。

そこからは、新たなる富を生み出さない。 ただ、お金の奪い合いをしているだけ。 ひたすらお金を追いかける、銭ゲバにすぎない。

投資というものは、社会に富を生み出す方向で、お金に働いてもらうことである。 お金の分捕り合いではなく、富の増殖に寄与することだ。

その富も一部の独占のためにではない。 多くの人々に行き渡るべく、お金に働いてもらうのが長期投資である。

そういった長期投資に参加する一般生活者が多くなればなるほど、増殖した富が社会全般に広く行き渡っていく。

最近よくいわれる富の偏在化、あるいは資本主義の行き詰まりとは、真逆の方向に長期投資はある。

多くの人が幸せになれる、それが長期投資の本来のありようである。 したがって、多くの人が参加しない理由はない。

今日は月次報告書の発送作業の日だ。

午後5時過ぎに基準価額が出てから、印刷・ソーティング・三つ折り・封入そして発送の作業に社員全員が取り組む、大事な日だ。 朝から気合が入ってくる。