なぜ長期投資を、これほどまでに強く主張するのか(後篇)

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この数年とみに資本主義の限界とか終焉とかいわれるようになってきたが、その救世主ともなるのが長期投資である。

振り返ってみても1970年代までは、世界の資本主義は活力ある事業家や投資家に支えられていた。

ちなみに、70年代はニクソンショックともいわれる変動為替相場制への移行や、2度の石油ショックで世界経済はズタズタになった。

米国ではインフレの昂進と、それを押えようとした高金利政策で、長期金利は10%を超え、瞬間16%を記録した。

ビジネス活動に逆風が吹き荒れる中、米国では主要企業や伝統企業の多くがバッタタバッタと消えていった。

そんなひどい状況下、産声を上げたのがインテル、マイクロソフト、アップル、オラクル、シスコシステムズといった、後の世界企業である。 82年には、デルも加わった。

その後の米国経済を支える情報通信ならびに IT 関連の産業が生まれたわけだが、まさしく事業家精神と投資家のリスクテイク精神の産物であった。

80年代に入ってからは、その図式がどんどん変わっていった。 それとともに、世界の資本主義が内部から腐っていった。

先ず、石油ショックで惨憺たる状況に陥った経済を立て直そうと、先進国中心に大量の資金供給と低金利政策に打って出た。 いわゆる過剰流動性の始まりである。

そこへ、やはり先進国中心に年金の積立て本格化で、年金資金が世界最大の運用マネーに躍り出てきた。 そして、毎年の成績を追いかける運用(?)競争が激化していった。

世界的な金余り現象に、短期の成績追求が乗っかっていった。 その流れに沿って、マネー資本主義が醸成されていったというわけ。

5年~10年の時間軸で、じっくりと事業を軌道に乗せていこうとする企業経営を横へ追いやって、できるだけ短期間で投下資金を回収するを良しとする価値観の台頭だ。

マネー資本主義は株主権の横暴にも直結する。 企業の所有者は株主だ、株主利益最大化だで、企業に短期の利益追求を迫る。

企業から現金を吸い上げるだけ吸い上げて、後は野となれ山となれで企業を捨ててしまうのは、アクティビスト連中だけではない。

年金基金や金融機関の運用も、短期利益追求に大きく加担している。 投下資金が大きく膨らんで回収できれば、すべて良しとする価値観が世界中に蔓延しているのが現状である。

このままではマズイぞということで、ESG 投資なんてのが重視されてきたが、マネー資本主義を是正する力はない。

やはり、本格的な長期投資の出番である。 一般生活者の資金を動員して、生活者にとって大事な企業の長期的かつ永続的な発展を応援していくことだ。

勝てない戦いではない。 一般生活者が保有する資金量は膨大であり、年金や金融機関の資金の出し手も個人なのだから。

個人マネーを糾合して、長期投資の価値観をマーケットに放り込んでやろうではないか。

1970年代前半までのように、長期投資がどっしりとしていれば、世界の短期指向などもそうそう目茶苦茶はできなくなる。

明日は、名古屋出張で長期投資家日記はお休みします。