お金をつかえない国の悲しさ(後篇)

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経済は動いたお金の量で、その規模が決まる。 成長力を高めたいのなら、動きまわるお金の量を増やし、そのスピードを上げさせること。 それに尽きる。

だからといって、日銀が資金を大量に供給しても、それほど効果は上がらない。 ただ、お金をばら撒けがいいのではない。

資金を大量供給すれば企業の投資意欲は高まるというが、企業からすれば需要を見込めなければ積極投資に踏み込むわけにはいかない。

そう、お金をつかう主体の意思や意欲があってはじめて、経済の拡大再生産につながっていくのだ。

たとえば、マッサージをしてもらいたい方向でお金をつかう人が増えることで、マッサージ師になろうとする人が増え、その家族を養っていける。

オペラやスポーツを楽しむ人が増えるのも、そちらの分野での雇用や仕事の拡大につながっていく。

もちろん寄付も、生活に苦しむ人々や、社会のいろいろなところで頑張っている人達を応援できる。

ところが、成熟経済となりモノへの需要が一段落した日本では、お金をつかわず預貯金にため込む人達ばかり。

それは、経済の拡大再生産はもう結構ですという意思表示と言っていいだろう。 経済がジリ貧となっていって当然のこと。

ここが、モノ以外でお金をつかうことを知らない日本国民の悲しい現実である。

日本経済の低成長や将来不安を嘆くのだったら、預貯金を貯め込むのではなく、お金をつかう楽しみを覚えよう。

楽しみ? 自分の好きにお金をつかう、それでいて日本経済の成長に貢献できることを楽しむのだ。

でも、お金をつかうと手持ちのお金が減っていく? 減っていくのをみるのが怖いから、なかなかお金をつかえない?

そういう人は、長期投資でお金を殖やす方向で、先ずはお金をどんどんつかってみよう。

その上で、殖えていくお金の一部をカッコ好くつかうのだ。 それなら、二重にお金をつかえることになる。

873兆円の預貯金マネーの、たった3%が経済の現場にまわされるだけでも、日本経済はたちまち5%成長してしまうのだよ。