金融リテラシーとか投資教育とか、よくいわれる。 リテラシーとは知識を高めて、自分のものにするといった意味である。
そういったお題目がずっと唱えられてきているが、なかなか日本社会に定着していかない。
高齢者層中心に、大半の日本人は相も変わらず「預貯金しておけば十分」で凝り固まっている。 一体、どうしてなんだろう?
今日は敢えて投資リテラシーを表題にして、そのあたりを掘り探ってみよう。
投資リテラシーというと、一般的には投資の知識をしっかり身につけましょうと解釈される。
実は、その程度で満足されては困るのだ。 お題目を並べただけのこと、そのくらいの社会的影響で終わってしまう。
もうここは、投資しましょうとかの域を超えて、投資しなければ人生の損だよとまで、言い切って構わない。
投資すれば、こんな財産づくりができますよぐらいでは、人は動かない。 すぐ、リスクはとか、損しないかとかの意識に潰されてしまう。
ところが、「投資しないと、人生の落伍者になっていくよ」とまで迫られると、人は焦り出す。
とどめは、「皆さん投資を始めましたよ。 あなた置いてきぼりを食らいますよ」の一言でいい。
日本人は自分だけ取り残されるのが、一番怖い。 皆が投資しだしたとなれば、もう放っておいても投資しなければとなる。
では、投資しなければ人生の損だよとまで言い切れる背景は?
続きは、明日にしよう。