米国市民の間で投資文化が普及しだしたのは1980年代に入ってからのこと。
投資文化の普及度は、個人や家計の金融資産における投信保有比率をみるといい。 具体的な数字で、それがはっきりわかる。
1980年のはじめまでは、米国の家計の投信保有比率といっても、金融資産の1%前後にすぎなかった。
それが10年後には10%超に跳ね上がり、以後は今日に至るまでずっと12%~17%を占めている。
ひるがえって日本では、個人金融資産における投信保有比率は、1960年代からずっと2%~3%前後だった。
それが、この10数年で急速に上昇トレンドを追い、直近では5.6%にまで高まっている。(日銀速報、2017年9月末)
とはいえ、この数字をもって米国と同じような投資文化の普及と考えてもらっては困る。
大半は、証券はじめ銀行や郵便局のビジネス努力、すなわち販売手数料稼ぎ営業がもたらしたものなのだから。
その証拠に、6000本を超す投信ファンドの中で、10年を超して純資産が伸び続けているファンドは、全体の1%もないではないか。
99%以上の既存ファンドは、手数料稼ぎの道具として設定され、出ては消え出ては消えを繰り返してきただけのこと。
投信ファンドで純資産が伸び続けているのは、しっかりと運用成績が積み上がり、投資家顧客の信頼が高いことを裏付けている。
つまり、投資文化の象徴なのだ。 その点、これまでの日本の投信業界はビジネス優先で、投資文化を育むなんて意識はカケラもなかった。
それどころか、まともな成績を残すことなく消えていくファンドの屍を累々と横たわらせて、投資はリスクが大きいといった固定観念を国民に植え付けていったのだ。
投信業界の商慣習があまりに酷いので、業を煮やした金融庁がこの数年来、強力にビジネス方向の転換を業界に迫ってきた。
それが、毎月分配型投信の大流行にブレーキをかけ、今年から積立て NISA の開始につながっている。
そう、日本における投資文化の本格普及は、いよいよこれからということだ。
その土壌は十分に整っている。 年金はどうみても当てにできないし、預貯金の利子はゼロに近い。
投資文化が普及し出したら、さわかみファンドの優位は一気に高まる。 なにしろ、その流れを18年半も前から先取りしてきているのだから。