人々の毎日の生活が経済

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いまさらながらに、すごいなあと思ってしまうのが、経済の自立的な出来上がりである。

もともと経済活動なんて、人々の日々の生活が集まったものに過ぎない。

生きていくために最低限の食衣住の確保からはじまって、経済活動は果てしなく広がっていっている。

ちょっと美味しいものを食べたいとか、お洒落してみたいとか、芸術やらスポーツやら、すべてが経済活動に乗っかってくる。

その仲立ちとして自然発生的に生まれ発展してきたのが、貨幣というものである。

その貨幣のやり取りが投資や投機となって、これまた経済活動の一環に加わってくる。

今回イタリア出張では、航空運賃が一番安かったトルコ航空を利用した。

中継のイスタンブールで、往きは6時間ちょっと、帰りは3時間ちょっとの待ち合わせがあった。

乗り継ぎ時間の長さにうんざりという面は、たしかにあった。 しかし、イスタンブール空港を利用する人々を眺めていて、まったく飽きない。

24時間オペレーションで、世界中の人々が行き交う。 真夜中でも雑踏のような人の流れである。

さすがに空港を利用しているから、ある程度以上の生活をしている人々ばかり。 それでも、出稼ぎの人々も一杯いる。 巡礼もいた。

そういった人々が毎日どんな生活をしているのかなと思いを馳せながら、経済ってそういうことなんだよなと再確認の連続だった。

はっきりしていることは、世界中でどんなことが起ころうと、人々の生活はなくならない。

それをベースとした経済活動は絶対的に存在する。 そこのところをしっかり押さえておけば、どっしりとした長期投資ができる。

もちろん、なにかで大変だと大騒ぎとなれば、そこは敢然とリスクを取っていくのだ。 それも経済活動の一環である。