財産づくりの変遷

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昔から、財産づくりの王道は「出るを制して、入りを図るに如かず」といわれている。 つまり、節約に努める一方で収入を増やす努力を重ねるということだ。

日々の収入がどれほど少なくても、幾ばくかの出費を抑えて貯めておくようにする。 それが、チリも積もれば山となって、いつしか財産が築き上げられるはず。

財産づくりには、それを徹底するしかない。 とにもかくにも急がば回れで、じっくり時間をかけて山を築いていくのだ。

その中で、昔は銀行とかの制度は一般化していなかったから、貯めておくといっても利子は期待できなかった。

もろに、余ったお金を自宅の金庫か何かの中で積み上げていくだけだった。 それを山となしていったのが、財産というわけだ。

明治に入ると、郵便貯金の制度が整備され、全国に銀行が設立されだして、預貯金に利子がつくようになった。 そして、国を挙げての貯蓄信仰の徹底ときた。

日本経済の勃興と発展、戦後の復興から高度成長期へと、国全体の資金需要は旺盛だったから、預貯金の利子はそれなりに高かった。

そういった状況が100年以上も続いたこともあって、いつしか「財産づくりは、しっかりと預貯金に励むことだ」という考えが定着していった。

別に、投資とかの博打に走らなくても、まじめに預貯金しておけば、そこそこの財産を築き上げられる。 それが、まともな日本人の生き方だというのが、財産づくりの常識となった。

その財産づくりも、1993年9月から現在に至るまでの超低金利・ゼロ金利政策によって、まったく意味をなさなくなっている。

利子収入がゼロ同然となって、銀行や郵便局に預けておいても、さっぱり殖えなくなってしまったのだ。 それでも、長年の習性で日本人は預貯金にしがみついたままでいる。

ここへ来て、ようやく預貯金に預けておくよりも投資運用した方がいいという考え方が、一部で広がり始めてきた。

この流れは、これからどんどん太く大きくなっていくことはあっても、元の預貯金オンリーに戻ることはない。 なにしろ、リターンの幅が違う。

とはいえ、投資運用にもド下手や頭でっかちの経験不足、そして博打まがいや投機と、それこそ千差万別である。

これから、投資運用の世界で優勝劣敗と淘汰の波が寄せては返しを延々と繰り返すことになっていこう。

預貯金オンリーの時代には、さしたる競争もなかった。 しかし、投資運用の時代ともなると、結果を出せるところとダメのところが歴然と表面化してくる。

まともな投資成果を出せないところは、どんどん淘汰されていく。 その横で、新たなる競争が次から次へと襲い掛かってくるのだ。

そうなると、一般生活者はどこと付き合えば信頼し安心して財産づくりを託せるか、自分の眼で判断することが問われるようになる。

そこで唯一頼りになるのが、個々の運用会社がどんな投資哲学をもって、どのような実績を積み上げてきているかだ。

時の経過で積み上げてきた長年の運用実績ほど頼りに出来るものはない。