一昨日の午後から昨日にかけて、インベスターズ TV の大阪ロケに行ってきた。 現在、ネット TV 放送の「誰も教えてくれない日本金融史ー Part 2 」が放映中だが、その特集として「大大阪の時代」を現地ロケに行ったというわけ。
この「誰も教えてくれない日本金融史」は、千葉商科大学教授であり日本 FP 協会専務理事の伊藤宏一さんが、長年の研究を披露してくれる講座である。 その質の高さは静かなる評判となっている。
質の高さと書いたが、学問的に研究が進んでいない分野であり、日本の金融というものを歴史的に検証している、きわめて価値の高い講座である。 それがタダでみられるなんて、いくらネットの時代とはいえすごいことだと感心してしまう。
そこで、大大阪の時代だが、明治の初めから戦時体制に突入する1930年代半ばまで、大阪は全国一の工業都市だった。 大阪市は関東大震災で疲弊した東京とは対照的に大規模な市域拡張をしたこともあって、1932年に東京市が市域を拡張するまで全国一の大都市だった。
その大大阪を推進していった代表的な人物として、五代友厚や小林一三あるいは関大阪市長などが挙げられる。 彼らの事蹟を訪ねながら、伊藤先生が解説をし自分が若干の補足をするといった番組収録となった。
当然のことながら、世界で初めての先物市場を開設し、清算取引など高度なマーケット機能を備えていた堂島の取引所跡地を訪ねた。 驚いたことに、小さな碑がぽつんと立っているだけだった。 世界に誇る日本の先進性をこんなにも粗末に扱っていいのかと、暗然たる思いに駆られた。
同様に、大阪は商人の町ではあるが、ただ金銭を追いかけるだけではなくもっともっと徳の修養に努めるべしとして、江戸時代の大阪商人たちが自発的に始めた学問所である懐徳堂の跡地も、ビルの壁にレリーフとなっているだけ。
日本は自分らの先達が築いてきた輝かしい歴史や文化をもっともっと大事にしていい。 何もかも新しいものがいいとして、古いものを容赦なく捨てていく文化(?)は、どこかおかしい。
ともあれ、大大阪の時代の繁栄がただ経済力が突出していただけではない、いろいろすごい土壌があってのことという点は、誰も教えてくれない日本金融史をみてください。