日本では、お金の話題を口にするのは賤しいこととみなされがちである。 守銭奴とかいった言葉も、それを裏付けている。
それでいて、老後が不安だとか年金はどうなるのかといった話題は、あちこちで聞かされる。 こちらも、お金を話題にしているはずだが、誰も賤しいとは言わない。
おかしな現象だと思わない? 日本人特有のやっかみ根性が、そうさせているのだろうか? お金を持っている人に対し、賤しいとかの言葉でもって優越感を味わおうとするのかもね。
そろそろ、そういった類のねじれたお金感を払拭しよう。 自分も頑張って働くが、お金にも長期投資で働いてもらえば、誰もがそこそこのお金持ちにはなれる。
ここでは、プチお金持ちといっておこう。 プチお金持ちになっていく過程が、先ずをもってカッコウ良いお金の働きである。
長期投資の根幹は、生活者からみて大事と思える企業を応援していくところにある。 応援するという以上は、株価が大きく売られている時に断固として応援買いを入れる。
それは、不景気や暴落相場など経済の現場から資金が逃げていくときに、どんどん現金を投入してやることになる。 お金が賤しいどころか、ものすごく立派な働きをしてくれるわけだ。
景気がよくなったり株価が大きく噴き上がってきたら、長期投資家は薄く薄く売り上がって利益確定する。 現金化した資金は、次の株価暴落時に再び応援買いに入るための軍資金となる。
この繰り返しを淡々と続けることで、一歩一歩プチお金持ちへの道を歩んでいくことになる。 堂々たる財産づくりを進めていくわけで、誰にも賤しいなどとはいわせない。
その点、預貯金で安全にとか言っているのは、丸投げ無責任でもある。 銀行や郵便局にお金を預けて利子だけを期待する。 そこには、企業を応援するといった意思も思いもない、ただの利殖である。 どちらがカッコウ良いか考えるまでもないだろう。
それだけでは終わらない。 長期投資をしっかりやっていれば、複利の雪だるま効果が効いてきて、どこかで財産づくりの上昇カーブが加速し始める。 そこから先は、びっくりするような資産増加となっていく。
このぐらい金融資産があれば安心できると思える資産水準を、ファイナンシャルインデペンデンスというが、そこを超えると気持ちに余裕が出てくる。
気持ちに余裕が出てくると、カッコウ良いお金のつかい方が視野に入ってくる。 じわじわと膨れ上がっていく資産の一部を、どんどん世の中へまわさせてもらえたら、どれだけカッコウ良いことか。
そういったカッコウ良いプチお金持ちが増えていったら、日本経済や社会はずいぶんと明るくなる。 もう賤しいとかいうこともなくなろう。
明日は出張で、長期投資家日記お休みします。